sixtyseventh.diary

とりとめはない

2024-04-24

朝、小雨だがギリいけたので自転車で坊やを送り届けて仕事。といっても急ぎのものがあんまりなくて怠けがちかも……。なんか急に普段関わりない強めの人に会議に誘われてびびってる……。

奥州藤原氏に想いを寄せていたら親戚来訪。話を聞いて、適宜助言。のち晩酌。

美術解剖学の勉強? を今日もする。骨盤のあたりと肩のあたり、分からんすぎるのではと思う。

欧州藤原氏に思いを馳せながら。

2024-04-23

朝、図書館に予約をお願いした《源氏物語絵巻》関連の本2冊を受け取る。いずれも、先日レポートのために色々と勉強した内容を補強しあまりある内容で満足。五島美術館に見に行くかは悩み中……人が多い中じっくりじろじろ見られないし、借りた大形本の方が理解には助かるだろうな。現物の鑑賞体験を疎かにするわけではないが……。

仕事の打ち合わせはなんか盛り上がらず、スベったかぁ、というお気持ちになっている。つぎ、つぎ!

結局未明、4時半まで起きていて、昼間1時間仮眠しただけだが割と眠くない。そんな事もできるんだなと思った。昨晩は、レポート課題の古代美術を調べているうちに妙にハマってしまったのだ。エーゲ文明がミステリアス過ぎてもっと知りたい。インターネットにはなかなか情報がなかったな……。古代美術の情報は英語ならもう少しあるので、論文なども確認した。英語のWebサイトの信憑性を判断するリテラシーがないのはそこそこ損だ。

夜、小学生とトラブル。言っていることを覆す気はさらさらないが、まあ仲良く過ごしたいというときの仲直り方法が常に分からん。

ふわふわになっためえめえをソファに座らせて夜警を頼んだ。寝る前に美術解剖学の勉強がてら頭蓋の模写(?)。ぼちぼち日課に出来たらな。

2024-04-21

なんかよく分からんが家族がマラソンに出るというので見に行った。駅伝をよく見るものとして、長距離競技は、はじめから終わりまで現地で見るということは不可能なので、まあおおよそこれくらいの時間にゴール付近まで来るんでない? という時間に行った。予測は合っていたが、実際に何があるかというのは分からないもので、とはいえ、ゴールまであと500m地点に現れた家族の姿に、とてもうれしく思った。来るのか来ないのか、いつ来るのかヤキモキしている気持ちは、出征帰りを待つものの何厘かと同じなのでは。

芝生を転げ回る子供らを見て、パンダを思い出していた。

帰りはグリーン車になんとか座れた。帰ってから、少女漫画大河。晩酌。無事の完走を祝う。いやしかし、急にフルマラソンとか言うので驚いた。よくがんばったなぁ。尊敬。走って42.195km移動しきるなんて、自分には到底出来ないが、でも、もう少し体一つでできることを増やしてみたい気もするねぇ。

2024-04-20

朝起きて別にハッピーじゃないが、家事をする。昨晩より頭の重い感じなどはマシになっており、一定程度痰なども出るようになり、回復の兆しが見える。

色々あり、坊やと喧嘩しふて寝。午後、夫が子供らを外出させてくれたのにかこつけて、レポートを書き、WEB提出。本当はもっといろいろ見たうえで出してもよかったのだが、再提出となったらそれはそれでやり直そう。美術史は中学生の時の美術の時間にうっすらやった気もするが、あんまりに興味が出なくて全然覚えていない。人体構造上こんなに曲がるわけはないが美しいのでありとされている、みたいな絵なんだっけ……と検索していたら見つけた。ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル《グランド・オダリスク》だった。実際軟骨動物みたいであり、これをかくかくさせたらキュビズムとも言えるかもしれない。言えない。

《グランド・オダリスク

とにかく、あとはアルカイックスマイルだとかの用語をうすぼんやり覚えているだけで、あのときの授業を受け直したいくらいなのだが、真面目に受けとけばよかったという悔恨はない。中学生の自分にはそれは必要だと思えなかった、それを今さら蒸し返してもそれは34歳のわたしの論理でしかない。今こうして学べれば、それでいいのだ。ところで、ふてくされている間に学生証が届いた。ウヒョー! 上野公園フリーパスみたいなもんだぞ!!!

絵の練習。デフォルメしようとおもってデフォルメする絵は難しい。

晩酌。坊やを洗って寝る。

2024-04-19

手取りが11万円しかなくて、何も出来ないじゃん!!!! と焦る夢を見た。夜中数回起きて咳をしたり鼻をかんだりと休まらなかったせいかもしれない。手取りは流石に11万円よりある。

そんなわけで引き続き頭部のあからさまな倦怠感が続き、仕事にならない。郵便局からレポートを提出し、かかりつけに通院し(メンクリ)、帰ってやすむ。日本美術史の教科書を読んだり、課題になっている作品について調べているうちに、なんで絵巻ができたかとか、なんで絵を入れ始めたのかとか気になって、途中途中、寝る。さほど回復せず。昼ご飯も用意する気力がわかないので、寝たり文献を探したりする。

課題になっている作品を鑑賞する方法がかなりなくて途方に暮れている。でかい作品なのでインターネットで見る気になるのもなぁと思いつつ、結局そうなるかもしれない……。

晩酌。鼻が詰まっているのでよくわからない。夫と日本絵画は逆説的に「明かるい」のではないかという話になる。近代に入り西洋画が本格的に持ち込まれる前の日本絵画は、陰影を「つけなくてはならないもの」と認識しているのではなく、むしろそれは意識されないものとしてあったのではないか。緯度が西洋画の本拠地と違うからではないか。そんな話をしていた。あるいは、絵画材料の粘度が異なるゆえに支持体を立てられるか立てられないかという違いも影響している可能性はある。日本こそ陰影が重んじられていたのだとしたら、それは空気のように常に存在しているからで、ものを成り立たせる要素として認識されるべき風土ではなかったのではないか。いまこそ『陰翳礼讃』を批判的に読む機運が高まっている気がする。だいたい、東京とパリでさえ、日の出・日没時間がぜんぜん違うのだ! パリは冬至の日の出は8時だし、夏至の日没は22時前らしい。そんな地域に暮らしている生き物と、情景的な美的感覚が同じわけないじゃん! と思うのである。

それはそれとして風邪がさほどよくならない。土日でどうにかなってほしい。鼻づまりで頭がいたい。