sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-01-30 時はこぼれていくよ

演じ続けた日をやめたら、到底人からは受け入れられないであろう自分が溢れ出てきて、そんなふうに溢れた部分を放っておくと悲しみしかなく、怒りもわき、ろくなことにならないので、とにかく私は演じ続けたほうが良い、というか、演じてない自分まで愛されようなんて独りよがりもいいところだった、恥ずべきことであった。と、今日の昼思い至ったのである。

私は最高の私という作品を社会に送り出し私という作品が他の人にも役立つように振る舞い心血を注ぐことで、世界は平和になる。その対価を得ようなんておこがましい。私は勝手に人に、私という作品を通して与える与える与える与える。与えられないことに文句は言わない。

十分にやりつくせば、きっと、私が私を認めるか、それがしんどければ、苦しかったり痛かったりするのを飛び越えて死ねる。だから、とにかくやり尽くして、精神的な自傷をやっていくしかない。

とりあえず仕事でしくじらないように、会社のSlackからtimesを消した、もう適切なタイミングで適切な相手以外に安易に仕事の成果以外のことをアウトプットしないように、戒める。

ちょっと要領が良く、活動的で、ひねくれていておもしろい、そういう作品を業務時間内に作り続けることに注力するのが、誰もがしあわせなことであり……私以外のだれもが、しあわせになれることなのだ。 

だから、頑張るほどに私は私のことをゆっくり、愛してあげられる。誰も知らない部分でいじけて苦しい私を認めてあげられるくらいに与えまくる。

与えたほどに欲しがったそれに、名前をつけるなら、あれは恋だった。

2021-01-29 出逢った頃 ああ そうだっけ 自分を好きでいられたっけ

我慢してるのは私だけではない、努力してるのは私だけではない、という言葉にどんな意味があるんだろうな、自分が自分に向ける言葉くらいやさしく甘いものにしてあげたいな、自分しか自分のいのちを大事にしてくれないんだもの。

今日はなんとか風呂に入るくらいの気力はあったけど明日ピアノがあるしそれを休みたくないからというギリギリの気力だった。ピアノは自分の指と出る音と聞く音に集中すればよいからいい。とはいえあんまり思うように練習できなかったのが不安。はあ。まあでもピアノは先生も私がめちゃくちゃ上手とかそういうことは期待してないから気楽。来月はもっと練習時間とりたい。

今月はよく頑張った反面、なんかその頑張る意味ってなんだっけみたいな、報われたいなという気持ちが急にブワッと出てきてしまった。勝手に頑張るのが間違ってるのかもしれず、結局組織で働くのはいつまで経っても向かないままなのかもしれない。いつか私の気持ちも丸くなるのだろうか、期待を超えようと頑張りすぎなくなれるんだろうか、そんな風になるくらいなら、死んだほうがマシだな、つまらないし、私は私の中だけでは万能感に満たされていたい。私にとっては私は天才で頑張っていて成果を出す、そうであったほうが、ギリギリ生きてる意味がある、気がする。

2021-01-28 名刀菊の本山 真横に一文字

とりあえず起きた時点から気分は最悪で仕事省エネでやろうと思ったら同僚が当欠したためまじかよ最悪な気分のところに最悪なことって起こるんだな、人が休むのはしょうがないにしても私個人の感覚としてはマジで最悪だわとなりながら仕事。

割と抑うつ状態が進んでおり、気が緩むと涙が止まらない。

仕事だけは最低限やったけど本来私がやる仕事、やりたかった仕事はペンディング。明日気力が戻って来るかなんて知らねえ。

仕事に気を回してチームが良くなるようにもがいてるつもりだけれど、別にやれって言われてないから、やっても給料とか、人に対する権限とか、何にも増えないんじゃねえかと思うと虚しい。言われたことやってたほうが得ならやらないほうがよくないこんなふうに勝手に頑張っても誰も感謝しないし金も増えないし年上には舐められてる気がする。たかだか数年子宮から早く出てきたからって舐められるのはいつも悔しい。私は私なりにパフォーマンスしてそれを説明して記録してるのに舐められてる気がする。おかしい。やりたいことやりたーいって言って検証もしない人に舐められてるのは不愉快だと思う、または舐められてないのだとしたら、ちゃんと敬意を払えよこっちは仕事してんだよと、個人的に苛々する。苛々しているだけだから言わない。

でもどうやったら私が勝手に頑張ったことって、いつかは組織における正式な期待になって、それなりの報いを受けられるのだろうと思う。それが叶わないのであれば、私は、無駄に心血注いでやってることになるのだから、早く止めてほしいし、まあやり方合わないなら組織にはい続けられねえなーと思う。そんなことまで、自分自身が評価されるための設計までして、600万円ももらえないのって虚無でしょ。じゃあいつでものんびり休める環境くらい設定してくれよ。私は、疲れてるんだ、死にたいくらいに疲れてる、ほとほと呆れている、認められたい、それだけを満たすためにいつまで空転してるんだろうな、やっぱり死んだほうがマシだな、死ねるスイッチあったら晴れた温かい日にゆっくり昼寝してから押したい。

2021-01-26 おかしな恋人

昨晩、胃痛に苛まれて落ちた。原因の思い当たらない胃痛に襲われることが時折ある。体を丸めて眉を寄せるしかない。一晩寝たらすっかり良くなって安心した、身体の不調は本当にしんどい。

朝モルカーを見ながら少し仕事、子どもを保育園に送り仕事。ちょっと溜まっていた仕事というか作業に近いそれを延々とやる。昼は近所の中華をテイクアウトし、また作業を続ける。夕方急に集中力が切れたのでギブアップ。朝かなり元気よく溌剌としていたのに夕方にはシナシナであった。もし朝元気があり余っていなかったらどうなっていたのか。考えないでおく。

昨日どうしても、私の中での必然性に追い込まれて封筒評論家としてのブログを展開したところ、記事が読まれて嬉しく思う。一方で、アウトプットへの妙なプレッシャーもある。仕事でも封筒評論家としてもたくさんの言葉を練りだしている気がする。それはそれで恵まれていることなのだけれども。

私が本当に言葉を届けたい人たちはわかったようにしていつも笑っている、本当に本当に届いているんだろうかと綱渡りの気持ちになる、考えすぎていることは分かっている、私の流暢に見える薄っぺらい言葉をどうかあなたはあなたがただけは信じて重く受け止めて、たまには傷ついて見せて欲しい。

2021-01-23 演じてた君に恋して 素の君に惚れ直して

シャワーを浴びないとと思って起きたはずなのに布団でダラダラする朝。食事を摂って、子どもと喋る。かじったりんごのマークのPCブランドに興味があるらしい。

95年か96年頃には、家にMacintoshがあった。なぜ母がPCを欲しいと思って買ったのかは分からない。度々フリーズするので再起動コマンドが数種書かれた三角柱の紙がPCのそばにあった。タイピングゲームとペイントと子供向けゲームくらいしかしなかったけれど、小学1年生くらいの頃からPCのある生活に慣れていたのは、同世代の中では割合早い方だった。パソコン通信をしている様子を見せてもらったりしていたが、そういえば父はちっともPCを触らなかった。関心がなかったのかもしれない。

用事があって出かける。品川駅の駅ナカに喫煙スペースのあるカフェがあったのでなかなか助かる。普段使う駅にはそういう気の利いたものはあんまりない。そもそも駅ナカが拡充しているのは……上野駅、そんなに便利じゃないと認識しているんだよな。本屋もあるし惣菜も変えるけれど、滞留するには私にはイマイチ魅力的ではない。駅を出た方が余程魅力的だからか。

帰るところで乗ってみたかった新型車両に乗って満足。遠いかと思いきや意外とあっという間に地元の駅に着く。雨は降っていても風がなければ、そんなに辛くない。鞄にラップトップが入っていたら別。

帰宅してからテレビを見て、子どもの今日の話を聞き、夕飯。なんとなく飲酒をし続けてしまった。部屋に雑に積んだ衣類を片付ける。先日高円寺で買った古着のシャツのボタンが大分取れていることに気がついたまま放っておいているので、明日は出来たら御徒町にボタンを買いに行きたい。雨や、もしかしたら雪が大変なことになっていないことを祈る。

私はあんまり人に質問をしないかもしれない。関心がないのではなくて、聞くことで気を害したり、聞いた割にすぐ忘れてしまったりするコミュニケーションの失敗を恐れてしまう。それから、いま、どう感じているのか……何を見て何を聞いているのか、そんなことが気になることのほうが多い。言葉にできなくてもよくて、知りたいと伝えたい、そんな風に思う瞬間が愛しい。