sixtyseventh.diary

とりとめはない

2020-04-09 しらすな・白砂

朝起きて,前日の日記を書く。日記を欠かさず書くというのは難しく,夜は疲れており,朝は新しいその一日が始まっている。そうすると,自然と日記はサボられていくべきものなのだが,残された日記の総数を考えると,日記を書くことが苦手であるというのが総人類の特性というわけではないようだ。私自身,中高のときはほぼ欠かさず紙のノートに日記を書いていた。これ以上日記についてのことを書くと,この日記を書いているのが11日ということも相俟って日記でなくなる可能性が高くなるので一旦筆を擱く。

とにかく,前日あるいは更に前の日の日記を書くというのは非常に難しく,そのときの感情・感覚はフリーズドライできないし,できたとしても完全に戻すこともできない。ので,9日の日記はTwitterを見返しながら,事実の記録を多めに残すに留めたい。

さて,日記を書いたあと,3歳を連れてM公園に行く。公園は白っぽい砂が多く,必要以上に太陽光を反射させる。ヤクルトスワローズの野球帽を被ってもなお,地面からの照り返しには勝てはしない。3歳の動きをすべて見守るのも辛いが,子供を野放しにするわけにもいかない。遊具の周りを上下左右に好き勝手に動く子供を視線で追いかけるだけで普段の8倍くらい疲れる。M公園には子供がやや多く,3歳より年下と見られる子供も多い。彼らは順番も分からず,言えばなんとかなるものでもないので,3歳が理不尽な目にあう。3歳より年下の子供を手で制するのを二度ほどやって,なんで私がてめえらのガキの面倒まで見なきゃいけないんだ,とのんびり話に花を咲かせている母親どもにとんでもなく苛立ってしまい,公園をあとにした。私の沸点が低いのも事実だが,実際,秩序を守らせるくらいは最低限やって欲しいと願う。本当に,いわゆる典型的な「ママ」が私は大嫌いなのだ。類型的なママまでは知らん,私はママを知らない。

子供を連れて散歩し,鄙びた煙草屋の自動販売機でオレンジジュースを買ってやる。ペットボトルに澱が溜まっているオレンジジュースに,やっぱりなという気持ちを抱きつつ,子供にあげる。

昼ごはんは,リンガーハット皿うどんにする。UberEatsで頼んだらあつあつの皿うどんがきて,一日中舌がヒリつくことになった。皿うどんに初めて酢を入れてみたが,これがなかなか,こってりめの餡にまみれた口をさっぱり洗ってくれてうまい。また皿うどんを食べたい。長ネギを抜けたらいいんだけれど(食べられるけど,皿うどんの長ネギは何か違う気がする)。

夕ごろはすっかりへばって,Eテレつけっぱなしで子供を放っておいてしまった。罪悪感があるけれど,果たしてこれは「悪」なのか? 100%一緒に遊ぶのは確かに理想の一つかもしれないけれど,私の理想だってあって良いはずだ。ちょっとくらいテレビに子守をさせてくれ。私はテレビのように同じことを飽きずにやり続けられはしないのだ。半ば投げやりな気分で眠りについた。

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