sixtyseventh.diary

とりとめはない

2020-04-13 書いて・クーチニ・晴れるよな

考えても埒が明かない雨の朝,今日は子供と円満に過ごそうと思う。昨晩自分の生活について考えたことを試してみようと,いくつか試行錯誤というかリサーチしてみるも,なんともピンとこない。現状打破の裂け目と短期的な目測のその先には,それぞれ違う世界が見えていて,確からしさの乏しい一つは雨露で眩しく光を反射するだけだったのかもしれない。裂け目は何も,安全な形になってくれているわけではなく,足を踏み出せば真っ逆さまに落ちていくものもある。金銭的な真っ逆さまだけならいい,希望もないかもしれない。

そうは言っても,また一つある選択肢を取ろうとすると,今はやっぱり酷くギリギリ痛むように思う。そんなことを考えていたら,大雨警報は出るし,夕方にもなるし。あっという間に時が過ぎる。無為に過ごした気のする時は,金銭的な価値が本当はあったのだろうか,せめて私の生活における意味が。

やるべきことを保留する,もっと保留する,諦めて向き合う,やるべきことでなくする……。向き合えば,向き合い続ける姿勢を誓えば,またしばらく後戻りできない……それが怖いけれど,向き合わなければそれもまた,私の生活の一つの可能性が・芽が弱っていき……。うだうだしているのが趣味,悪趣味。

例えば一ヶ月保留して,その間,やりたいことにめちゃくちゃ集中するのはどうかな? なんていう発想が大変に魅力的にうつる,いまは,少しの期待や希望に身を預けてみてもいいのかもしれない。そのために,最低限,身を糺す。そう考えてみるとなかなか悪くない気がしてきた。

こちらはnoteの封筒記事です,全文購読は100円です。缶珈琲の方が価値があるかもしれませんが,100円で私がめちゃくちゃ喜ぶと思うと人助けになると思いませんか。えへへ。

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