sixtyseventh.diary

とりとめはない

2020-09-DD もうだめ,いやだめじゃない

さて,9月のとある日,無事に第二子を出産してきた。これを書いているのは出産から5時間後の夜,第二子との同室が明日からというので暇な間に書いておくことにした。

感想として,一回目のときに感じたこととあんまり変わっておらず,安産でよかったねというところに落ち着く。もとより,三人目はさすがにしんどいと思っていたが,やっぱり分娩中は痛過ぎてもう無理だわほんと……と改めて思った。

二人欲しいなと思っていたのは,二人結婚したのだから二人育てたほうがよいのではないか? という謎の計算から。一人目を生む前から,もし授からなかったら特別養子縁組をして子供を育てようと考えたりしていた。二人目を授かる前には,一人目とうまくいくか分からないけれど授からなかったら特別養子縁組を検討せねば,と考えた。

私が前から考えていた二人育てるクエストが一旦スタート地点においては終了したのでほっとしている。

産まれた赤子は小さくてほんとうにかわいいのだが,これがラストだと思ってつわりや妊婦の不自由さに耐えた部分が大きいので,騙されないぞ。

さて,出産の大まかな記録。

深夜2時頃目が覚めて,ブチッという感覚のあとに股から液体が出る感覚。これは破水では? と,股にタオルを当てながら体を起こすと,破水であることを疑えないくらいに液体が出る。あ〜なるほどなるほど,これが破水ですか〜〜。生理用ナプキンと下着をとってトイレで病院に電話する。破水してとめどなく出てきます,というと,すぐ来てくださいねと指示。ちなみに生理用ナプキンのような軟弱な日用品では破水を受け止めることは出来なかった。結局,バスタオルをバウムクーヘンのように巻いて移動。夫に,破水したから入院する,じゃあね,と声をかけて見送ってもらう。立ち会いも面会も禁じられているのだ。

大通りで流しのタクシーを捕まえる。破水していることがバレたら断られそうなのでしれっとした顔で乗る。3分程度で病院につき,夜間入り口から車椅子で部屋へ向かう。深夜2時半頃。痛みは特にないため,破水の衝撃をへらへらと隠しながら横たわる。夫にSlackであれこれ伝達。落ち着かず深夜4時頃までネットを見たりして過ごしていたが,まあとりあえず寝られるときに寝とこうと思ってうつらうつら眠る。

朝6時頃目を覚ますが,陣痛はない。これこのままどうなるんだろうな,とまたググる。分からない。朝8時頃すごく質素な朝食をとりながら,陣痛促進剤か下手すると帝王切開か……どっちも怖い,と思う。上の子はめしを食っただろうか。そういえば破水する一時間ほど前に上の子がおねしょをしたので布団を片付けたり着替えさせたりしたのだった。奇妙な一致。

朝食後,二人の医師らしき人が現れ,「陣痛がまだ来ないようだけど,頑張って早く産んでみるか,もう少し待つか」というようなフンワリした質問をされる。要は促進剤を使おうかというはなしである。しかしいざ聞かれると,使ってくださいの一言が出ない。子宮破裂のリスクが怖いのではなく,促進剤を使った出産の経験がないから怖いのだ。そして,確かに痛い陣痛や分娩のアレに私がゴーサインを出すということに抵抗があった。

とはいえダラダラ陣痛を待っても辛い。体力にも限界がある。どう考えてもイエスとしか言えない空気感の中で,私も,イエスと言った。

朝9時頃から促進剤を入れる。TBSラジオを聞きながら,陣痛が強くなるのを待つ。促進剤を入れたって絶対に今日生まれるとは限らない気がするし,このあと陣痛が来なくて帝王切開になったりもするんだろうか,こえーなー。うわー。などと考える。昼くらいに産まれないかな。無理かな。夜産まれてるかな。わかんねー。

正確な時間はもはや定かではないが,あれこれ考えているうちに朝11時頃,それらしい陣痛が私を襲っていた。まだ無理ではないが,こりゃ陣痛だ,という痛み。ツツツツツ〜ッという声,音が漏れる。笑顔ではない。昼ごはんどうするか,食える分を食うべしと言われるが,絶対に食わんぞ,と思ったということはまあまあ痛かったんだろう。正午には夫に陣痛がハードだとSlackで報告し,そこから携帯電話はもう触れていない。そう,痛かったのだ。

しかし振り返ってみるとここから2時間,昼2時に私は第2子をリリースした。振り返ってみると早いのだ。陣痛が本気だなという頃から3-4時間,というとやはり早い。

でもこの2時間,とても辛かった。産むのやめたいと思った(Bボタンはどこ?)。足をジタバタしたかった。陣痛が来ていて辛い中,よく知らん二人の医師に内診されて悲しかった(二人で代わる代わるやる意味なんなんだよ……)。とにかく暑かった。腰が爆発するかと思った。はよ吸引しちゃってくれと思った。無痛分娩だったらこの痛みはなかったんだろうか,と思った。

がんばれ,といきみながら自分を鼓舞したり,もうむり〜〜〜むりじゃない〜〜〜と混乱しつつわめいたり,いたいのでできないです!と怒ったりしていた。散々である。分娩時にまでつけていた布マスクは汗でじっとり濡れ,大変不快。とってもいいかと聞いても困った顔をされ,しょうがないよなと思う間もなくまた痛みの波が来る。最後の方で,これビニールシートあるからマスクとっていいんじゃない?とスタッフさんがやりとりしているのを聞いた,そしてマスクをとったのだと思う。

生まれたときに,上の子のときに覚えていなかったオギャラオギャラというかわいい泣き声が聞こえた。オギャラオギャラオギャラオギャラ,オギャーアー。元気に泣いている。すごく小さい,こんな小さいもん生んで大丈夫かな? この子は地上でやってけるのか? と不安になりながら爪を見たりする。かわいいねぇ。かわいい。

すっかりほっとして,あとは胎盤を出したり,股の傷を縫われたりしつつ,色んな家族に生まれたぞとほうぼう報告した。自慢の子供だ,こんなに痛い思いをして生んだのだ。まあ,痛いの我慢したことはいいんだけど,こいつ頑張って,東京のこの街に生まれてきたぞ。

あんまりに痛かったと書くと今後出産を控えたり検討したりする人をビビらせそうだが,まあ二回目を無痛分娩にしないくらいには,一応耐えられるのだ。無痛分娩にしてもいいと思うけど。ごく個人的なこだわりのために,無痛分娩をやっていない病院で生んでいるだけなので,このこだわりさえどうにかなれば,まあ無痛分娩のほうがいいんでないかと思う。無痛分娩ってどこから無痛にしてくれるのかわからないけれど……。

子育て自体は仮説とそれを裏切る日常とが入り混じって,辛くとも面白い。ただ,妊娠と出産はもうちょっとなんとかならんだろうかと考えてしまうのが生む側。終わったから美化しちゃいそうだけど,一週間前は確かに,妊娠生活なんてちっとも良くない,早く終われと思っていたのだ。酒も飲めない煙草も吸えない,歩くと身体が軋む。それが何ヶ月という単位でやってくるのだ,私は2回で充分だ。

そんなわけでまあ,三人目は本当に考えていない。私がまた妊娠するのがしんどいというのと,かかるお金と,ライフプランと。本気の避妊をやろうかなと検討している。それでも一人っ子にとってはきょうだいと暮らす日々が楽しみなのだ。

離れ離れの二人目は息災だろうか。あんなに小さくて……大丈夫だろうか……とドキドキしてしまう。上の子も寂しがったりすねたりしてないだろうか。私の大事な子供。夫にも産前からあれこれ任せてしまったが,産後落ち着いたら彼にものんびりしてもらおう。

9月のとある日,待ちわびてもう来ない,誰かの最初の誕生日。