sixtyseventh.diary

とりとめはない

2020-12-17 somewhere

とにかく寒い。

ブログを書かない理由は、単にスマートフォンないしタブレットで入力するのが面倒なだけで、まあたかがそんな理由で書かない日が続くと、それはそれで悔しい気持ちになるのである。

さて、育児はというと、二人の子育てはまだ大丈夫。赤子の意思は、4歳の娘のソレに比べれば豆腐みたいなもの。4歳の娘の意思は、もはや立派なその、個人としての意思であり、その対応に神経を使ったりしている。あるいは、そこまで意思があるのになかなかうまくいかない、家庭的な約束事であったりに、私がいらだってしまうのを抑えたり抑えきれなかったりしている。

子どもを抑制したくない、という理想の親像と、なんせこんな感じの私の未熟さの差分に、単に苛立ち失望してしまう。しかたがないことなのだ、と認識を立て直すのに時間がかかる。これに比べたらちょっとしたうまくいかないことは、大した問題ではない。

畢竟自分の問題にすぎないのだが、トリガが子どもとの衝突が故にマネジメントがなかなか難しい。難しい、それは難しくて当然なんだ、相手も人だし、と思い直すのに時間はかかる。

筋肉痛のようなもので、いつかは慣れるだろうか。歯を食いしばりながら、そして笑いながら、家にいる。