sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-01-16 枯れ葉舞い 恋の雨が降る

やはり直接会うことの意義みたいなことに思いを馳せざるを得ない2021年初頭。つまり、意義がなければ直接会う必要はないのではないか、という仮説もあり、仕事で重要でない場合なんかはもう、直接会う選択肢は限りなく排除される。繕う部分の縮小に気が楽な反面、スケジュールが隙間なく埋められてしまう危機があり、私達には隙間時間がなくなっていく。すっかり、本を合間合間に読むことさえ難しくなる。

あんまりに暖かいのでシャツ一枚ででかけたら、都内をすれ違う人々は律儀にコートを羽織っている人ばかりで驚いた。私はだいぶ暑がりだから、少しでも暖かければどんどん身軽にしてしまう。じっとりと冬に汗をかくのは好きではない。緊急事態宣言もなんのその、日中はどんどん外出してもよい、と思う人が、きっと多い。私は夜でも外出する、散歩やなんや。

秋葉原で本屋であれこれ本を買ったり、無印良品でメガネ拭きと収納道具を買ったり。珈琲を飲んでからピアノのレッスンに向かい、ウォーミングアップとデイリーエクササイズ、曲の練習をする。個人レッスンの30分はあっという間に過ぎる。来週はレッスンがないので、どこかで時間を作って個人練習をしようと決める。ピアノは、というよりは楽器は、とにかく触れて慣れるしかない。おっかなびっくりで触れていると出来そうなところまで進めない。先生は私を適度に褒めてくれて大変助かるが、私自身としてはもっと頑張ればイメージ通りに弾けるようなもどかしさがあり、かなりストイックな気持ちになる。まだまだこんなものではないはず、と思うと、こんなものではないはずのイメージを実現したくなる。仕事でも同じようなことを考えているのだろう、適度にストレッチされた目標に対して、割とストイックになれる性質である。

帰宅し家族と夕飯。

私は、カジュアルに人に頼れるようになりたい。そうでもしないと、頼られたい人にずっと頼られない気がする。頼られたい人に頼られることは、幸福なことのようにイメージされて、だから、私ももう少し人に頼ってもいいのかもしれない。人に対する好意や敬意や信頼を、どうしたら伝えられるのか……言葉を尽くす以外の手段はなんなんだろうか、と、しばしば悩むことがある。私はすぐに言葉を尽くそうとする、その言葉が薄っぺらい気がする、私の言葉はちり紙のような存在感にしかなりえないのではないかと。悩み惑っても、気づくと私は言葉を幾重にも重ねようとしている。悲しい癖だと思う。