sixtyseventh.diary

とりとめはない

2022-03-30 誰かを守るために変われるかな

なんか、うーん。

前職でバックオフィスを幅広くやっていたときに、すべて数値化できるわけない(直観の世界がある)と思ったから帰納的に、可能な限り数値化した上で出来ないもんは出来ないって主張できるようになりたいと思ったんですね。それは、今も同じで、まあいわゆるコストセンターとも捉えられる部門が数値化の価値観に取り込まれるとしたら、なくなってもおかしくない、おかしくないんだけれど、なくなっていいと言われる働きなんかしてるつもりもないわけで。

広報をやってみてしみじみ感じるのは私だけではメディア露出には繋がらないのは当然として、さらに、こつこつやり続けないとどうにもならないということ。継続が評価されている、かどうかは定かでないけれど、でか玉のリリースをバンとやったって、でか玉かどうかは社会が決めるし、そもそも皆でか玉信じて発信してるから、伝わらない。広報というよりパブリックリレーションズと言う方が私は好みだが、PRというとなんか違う感じになってしまうんだよね、日本社会。むず。

で、こつこつやり続けるプロセスがパフォーマンスに繋がったかどうかなんて分からない。2ヶ月前のAというリリースの内容が、1ヶ月前のBというリリースを契機として着目されることもあるけれど、機序としてそれがそうなのかは、もう明らかにしえない。あるいは、取材をするときに「こういう発信もあった」が参考値としてどれほど評価されるのかは、正味わからない。記者は、記事を作るとき、企画書をつくるとき、「○○で何件取り上げられていた」という数値を追うことよりはるかに「××というファクトが影響を与えている」という内容に着目することが多いはずだからだ。露出のKPIが難しいのは、一体何が露出に繋がるのか分かるようで分からず、ただ、ゆるい相関関係が発信とメディア露出の中にある「気がする」というだけである。再現性は100%は担保できない。勝ちパターンがあっても連投しづらい。私が記者なら同一ソースで毎月記事は作れないと思う。

そんな中で、かなりプロセス仕事の広報やコミュニケーション分野の仕事を経費的な目で見られると、しんどいときがある。

ミニマルでいえば、取材したいと言われたときに日時調整できればいい。プレスリリースなんて、絶対に記事につながる保証なんてないからなくても事業は死なない。かりに繋がっても、そもそも獲得のマーケ担当がいるからいくらCVしたって広報の手柄にはならない。

そう思うと、究極的にはいらない。と、なると、あの経費が大きい、この経費は無駄では、が続いてしまうときに、じゃあ私もいらなくないですかね……と思うのだ。大きなお金はかけないが、効果の明確でない金を使うなと言われると、できることは少ない。あるけれど、それは今の報酬をいただいてやるようなことでもない。低予算でなにかビッグドリームを掴むという、ローリスクローリターンまたはハイリターンな仕事(と思っている)ので、なんか、かかる金と定量的な効果を突き詰められるとしんどいなぁと思うのである。出してもいいけど、それこそ仕事のための仕事じゃん。説明責任を負うのはアカウンティングだとして、じゃああなたはどこまで伝えるとアカウンティングとして働いてくれるのかな、とかさ。お金だってそんなにかけてないのに……。贅沢もできないなと思ってめちゃ切り詰めてるのになぁ。

とにかく、辛いのは自分だけと思ってない? とか、出る金を止めるのもいいがまず出費してるものをちゃんと活用しないの? とか、もうウワーと色々思うのだが、私は言えない。相対的に古参なので、お気持ちマンなのかもねと思うと余計言えないし、妥当なことを言ったとしても古参はやかましいってなっちゃいそうだから言いづらい。

合理化の先にあるのは己の首皮一枚だと思うのだが、どうなのでしょう。尊重はたかが30分のオンラインミーティングでは伝わりきらないことも、私の部署で「コミュニケーション」しないとだめ? とかいろいろ思うんだけど思うだけ。言ったってどうにもならんし。

 

と、言うこと以外にも色々あった一日だけれど、昼間暖かいと半袖になれるので気分はよかった。