sixtyseventh.diary

とりとめはない

2022-05-02 4/33

昨晩、日曜日に終わってしまう展覧会のうち、ぜひ見に行きたいものを探していた。月曜日は休館だったり、昼は湯島で担々麺を食べたかったりで、結局芸大美術館に行くことに。

特に見たい作品があったわけではないが、芸大美術館は割と混んでいない印象があったのと、天平美術っていいよね、というのはさすがにあるので行きました。上野駅から芸大美術館まで歩くとちょっといい散歩になる。

吉祥天立像はもちろん素晴らしかった、よく見てみると、奈良時代くらいの像は人の関節に当たる部分を骨ばって表現しないようにしているのかもしれない。仏像や吉祥天のような神聖なものは少なくとも。あるいはそういう表現技法が全体的な彫刻のセオリーだったのか定かではないが、もしかすると骨や筋肉のような動物的な表象をあえて取り込まなかったのかなぁ、なんて考えながらクロッキーしていた。模写は禁じていたが、一部撮影の可能なコレクション展だったので、ダメ元で係員さんに尋ねてみたのだ。軽くなら・鉛筆ならいいですよ、ということで数点描いてみたが、まぁ全然うまく描けなかったのは別の話。鉛筆と紙を持ちながら作品を見ると、ずっと自分の心に入ってくる深さが違う。描いても描かなくても。

これは岡倉天心所蔵と思しき奈良時代月光菩薩坐像のクロッキー。焼失したのか破損したのか、まさかそのように作ったことはなかろう、中の漆(だったかな、檜だったかな……)が出ていた。その、木の感じと、坐像の佇まいが、ないはずの消失部分が、なんかいいなと思ってよく眺めていた。

芸大美術館を出て、上野駅の明正堂で本をたんまり買う。いつか買おう買おうと思っていたものをほぼ買う。明正堂はあと8日で閉店してしまう、信じがたい。上野駅改札外にはまともな本屋がなくなってしまう。御徒町駅にもないし、鶯谷駅にもない。なけなしの台東区の「知識・分別」がどんどん消えていくようだ。衒学的な世捨て人、みたいな台東区のイメージが(私だけか)。

予定通り担々麺を食べてから秋葉原に散歩し、御徒町の田中金華堂で画材を少し買う。私は絵の具の混色がびっくりするほど下手なので、アクリルガッシュはなるべく混色しなくて済むくらいたくさん欲しい。水彩色鉛筆もほしいな、と思ったが、無いと作品を作れない! と感じるまで我慢することにする。

家に帰って細々したことをしていると強い眠気。

今日はなんだかんだ1万3千歩以上歩いたらしく、楽しかった。あてがあろうとなかろうと、天気のいい日に歩くのは気分のいいことだ。

昼寝をしようとして、雨音が非常に激しかったからそういう絵にしたいのだけど、そうならない気がする。なんだかあたたかい布団で眠って欲しい。

明日はまた上野公園に行く。

興味深い分野の話なので面白く読んだが、大ヒットするほど安穏として読める話でもないよな、と思う。世間の人はどれくらい、自分が・自分の身内が加害者になる可能性を考えて生きているのだろう。私は刑法犯として訴えられたことはないが、なんというか、本当にすんでのところでなんとか今なってるにすぎない、という感覚がいつも抜けない。だから、こういう話は他人事じゃなくヒリヒリしながら読む。

転職先での企てなど。あれも気になる、これも気になる、と珍しく本に付箋をはっておいた。忘れちゃうからね。