塾に通わせてから、かれこれ5ヶ月が経過している。月に3回程度、算数と国語あわせて90分の授業があり、月に1回、理科と社会あわせて90分の授業がある。基本的なスタイルは下記の記事からあまり変わっていない。
途中、彼女の入院があったり私が声掛け出来ていなかったりで算数のプリントの復習が滞っているので、タイミングがあればそれをやってもらっているくらい。
小学校低学年の偏差値に意味があるのか問題
意味とはなにか、をすり合わせない限り、この問題について考えることはできない。
試験結果(偏差値)をもって子供を指導する意味
これは端的にないといえる。そもそも試験結果が「悪い」場合に特別に指導すべきなのかというと、塾で行われる試験に限って言えば私はこれを疑問視している。
偏差値が下がったから叱るだとか、点数が悪いから叱るだとか、そういうことをしてもメリットはないし、予想されるデメリットのほうが上回る。普段の取り組みからさほど逸脱しない試験結果が出るわけであり、見直すべきは普段の取り組みにほかならないのだ。試験結果だけが異様になるのであれば、それはそれでその試験は当てにならない。
つまり、試験結果をもって指導する意味は基本的にはない。普段の取り組みに対するフィードバックであって、子供に対するコミュニケーションの直接の要因になってはならないのだ。
集団内での立ち位置(偏差値)を受け止める意味
これはないとは言えないが、深刻に不安視して子供の能力を過小評価することも、またその逆も必要がないというところだろう。ちょっとした一喜一憂くらいしてもいいだろうが、何かの意思決定として偏差値を用いるには、小学校低学年のそれはあまりに心もとない。
前回の試験からの「偏差値の」推移もあまり当てにならない。意思決定に用いる材料として重要になるのは小学校5年生くらいからだと考えておくのが妥当であり、子供の能力評価として用いるにはそれまでの偏差値は脆弱である。
恐らく今後5年くらいは、カリキュラム的には小3の2月、「新小4」から中学受験の塾に通い出すのが、あくまでメジャーなパターンだと思う。となると、母集団の数としての担保が取れるのは新小4に入ってからであり、母集団の質として一定評価に値するのが新小5以降だと推測している。
新小4で入塾する子供と、それまでの間に塾に通っていて「慣れている」子供の慣れの差は1年以内に大体埋まるだろう。子供に対してボリュゾだなんだとラベルを貼ってしかるべき権利など誰にもないと思うが、一定、受験集団における子供の立ち位置として偏差値をまともに受け止められるのがそれくらいの時期である。
もちろん例外はある。小5以降も、周囲より成績の伸び幅が大きい取り組みをする子供もいるし、逆も然り。最終的には、極論を言えば、偏差値だけをもって志望校を決めることなどできないのだ。前日まで伸び続ける(し、落ち続けることもある)。
まぁそんな極論に至らなくても、小学校低学年の子供の偏差値で何らかの意思決定をするだとか、子供に対してラベリングをするだとか、そういうことには意味がない。
小学校低学年から中学受験塾に通塾する意味があるのか問題
ここでいう意味は、「中学の入学試験において有利になるのか」という意味と仮定するが、そういう点で、意味はないと言って差し支えないと思う。小学校1年から塾に通おうが、小学校4年生から塾に通おうが(あるいは、5年、6年でも)、中学の入学試験において有利になると言えない。直接的にも間接的にも意味はない。ゆえに、志望校合格の確度を高めるために早期通塾をしようというのは無駄だ。
では私は何のために通わせているのかというと、私の娘について言えば明らかに周りより勉強が得意だからだ。国語や算数の全てが得意とは言わない。
ただ、走るのが速い子供がいればスポーツをやらせるように、ピアノのうまい子供がいればピアノ教室に熱心に通わせるように、彼女は勉強が得意だからその習い事をさせたいと思った、それだけだ。いわゆる最難関校へのあこがれがないといえば全くの嘘になるが、それでも、彼女が6年間を夢見る学校があれば、基本的にはそれに合わせたいと思う。結局のところ私立や国立の中学校に興味がないという話になれば、(もったいない!とは思うが)受験しないということもあるだろう。
偏差値を高くすることには関心がない。偏差値が高くなってたら、内心ほくそ笑むが、それ以外のなんでもない。ジュニアコンクールで全国2位だったからといって、国際的なピアニストになれる保証などない、その程度のものであり、そういう意味で、試験の結果がよければ喜ぶし、一定当てにしない気持ちもある。
ちなみに、習い事としての中学受験塾は結構良くて、彼女に知識(概念のかたまり)が増えてきたのでいろんなことを教えやすくなった。先取り学習の意図はないが、割合の概念などを伝えつつ、ニュースで出てきたグラフの意味を話したり出来るのは私は嬉しい。
あとは、学習面の方向性は塾に委ねつつ、他のことのプランニングに考えるリソースが割けるのも嬉しい。どこかの時点で、受験をする意志がある限りは時間を勉強にスイッチしていかないといけないとは分かっているが、新小5くらいからでいいかなと思っている。一定程度の伸びしろを残しておかないと、受験はつらい。ずっと右肩上がりなんて実現できなくても、そう設定しておく仕組みは大人が整えておいたほうが言いだろう。
小学校低学年の偏差値に糠喜び日記
小学生の子の成績が単に上がっている(実力がついている)という見方もできなくないものの、母集団の水準の一番高かったのは初回であり、中学受験塾にコンタクトを取る人が時を経て少しずつ増えた結果、相対的に小学生の子の偏差値があがっている、という側面も割と無視できないのだろう。この調子で行くと、おそらく小3の夏まではゆるやかに偏差値自体は漸増するのではないかと思う(2024-01-27 - sixtyseventh.diary)
上記で予想した通り、偏差値自体は漸増しており、先日の実力テストではある教科の順位が全国一桁台にまで上がった(すごい!)。他方で、もう一方の教科も成績が伸びていながら、まだそんなにやりこんでいないという状況にあるので、集団内立ち位置がさらに上がる見込みは出来なくもない。ただ、やりこませる気力が私になければ、やりこむ動機が彼女にあるのかも分からないので、とりあえず塾に通っている分の力はしっかりついているんだな、と安心する材料にする程度である。
全国の小学校でやっているらしい標準学力調査というテスト(?)も国語・算数満点をとってきた。こちらは、実力テスト以上に嬉しい。何より、課せられていて、取り組まなければならないのは小学校での学習だ。塾や何かの模試の成績が何であろうと小言を言ったことはないが、小学校の漢字でひどい点数を取ってきたときには叱った。宿題で普段書いている漢字を、なぜこの小テストで書かなかったのか。友達と喋っていて時間がなくなったといっていたが、真相は謎だ。特段の事情がない限り、小テストであっても真剣に取り組まないことは私は許さない、ということである。小学校の通信簿評価を高める必要はないが、点数の出るものに対して、出来ることをやらないというのは許されないと考えている。
さて、もうすぐ夏期講習だ。グノーブルはすごいので、小2でも8日間の夏期講習がある。送迎……。なんとか、「どちらかといえば楽しかった」という雰囲気で終わらせられるように、私もがんばりたい。