展示初日に「ミロ展」に行った。
開催することは都美術館内や近所の施設にあるポスター・フライヤーでずいぶん前から知っていたが、見に行くかというとまぁいいかな……と考えていた。子どもになんとなくミロ展のWebサイトをスマートフォンのブラウザで見せてみたら、行ってみたい! と言うので行くことにした。初日を選ぶ重要な意図はなかったが、結果的に非常によい鑑賞が出来たので、そうした日記である。
とはいえ、ミロについての知識はあまりない。割と前から知っている画家ではあったが、活動時期もあまり分かっておらず、カンディンスキーくらい? パウル・クレーくらい? とふわふわした状態であった。

抽象画が好きかというと、何とも言えない。家にパウル・クレーのポストカードがあり、たまに眺めて良いなぁと思うが、田中一村展のように混雑している中で鑑賞したいかというとそうでもないと思ったので積極的ではなかったのだ。( 2024-11-28 『田中一村展 奄美の光 魂の絵画』(東京都美術館) - sixtyseventh.diary)
先に掲載したようなGeminiの言う「関連性のある作家」は知っている。パウル・クレーから影響を受けた、と聞くとたしかにそんな気がすると思いながら東京都美術館に向かう。撮影はほぼ許可されていない展示なので、どういった作品があるかは直接でかけてみて欲しい。本当に、若い頃から晩年までの傑作がバランスよく網羅されており、ミロの画業って面白いなぁ、とワクワクする展覧会であった。

《ノール=シュド》(1917)は油彩のミロ初期の作品。彼が20歳ごろに描いたものだ。シュルレアリスムの影響が大きく出ているものの、彼がものにした抽象画より前の段階で制作された静物画で、鳥を飼っているものとして、かごの中にいる鳥が気になった。色彩が鮮やかで、鳥の一般的な描写ではないかもしれないが、ミロは鳥が好きなのかもしれないとときめいた瞬間でもある。実際、彼の作品を通して抽象的な鳥が描かれることは多い。
《パストラル》(1923-1924)も良くて、「牛かな?!」と寄って見てみたら、いろいろな何か生き物が描かれている様子。なにかこの、生き物のうごめきネスにはスピッツを感じるところもある。作品リストには牛かな? と思ったもののメモを残した。


今回のミロ展のなにより良かったのが、「とびらボード」の貸出だ。ミロ展の会期中ずっとやっているのかは分からなかったが、「とびらボード」を携えた小2と4歳児は展覧会の気に入った絵をじっと見ながら「とびらボード」に描いていた。
https://www.tobikan.jp/learn/tobiraboard.html
彼らが絵画を見てどんなものを描こうとしているのかを覗き見るのは本当に楽しい体験だったし、会場内に余裕があったことも幸いして、通りがかる他の鑑賞者もボードをそっと覗いてニコニコしていた。他人が同じ絵画を見ながら違うことに注目していることは、芸術体験として大切な体験だと思う。ふたりとも、今までで一番と言っていいくらい美術館を楽しんでいて、これからのレジャーの充実に役立つ経験ができた。東京都美術館の取り組みには感謝してもしきれない。

全体を見た感想として、ミロが21世紀の美術に与えた影響が非常に大きいとは感じないものの、作品それぞれのよさは濃く、それがミロの特徴なのだろう。抽象画は今も描かれているだろうが、ミロが切り拓いた何かというものは私にはあまり分からない。が、ミロが様々なやりようで抽象画をやっていった足跡は深く優しい。シニカルな画題もあるが、根本的には世界に対して深い愛情のある人間だったのではないかと空想したくなる絵が多かった。
ミロってああいう絵でしょ、という印象を覆すものではないかもしれないが、ああいう絵の多様なバリエーションを鑑賞し、これはなんだろう、と対話してみるには非常に面白い展覧会だ。