sixtyseventh.diary

とりとめはない

2025-11-30 相反、止揚しない

アメリカかどっかでは67という数字がミームとして楽しまれているらしい。

今月は日記を書いたかどうかすっかり忘れてしまった。多分書いてない。

全体的に忙しかったかどうかと言うと何とも思い出せない。先月のそれよりは少し違ったような気もしつつ、月末はなんだかバタバタしていた。それは私自身の事務ではない。だけれど、業務自体が、あるいは、その業務全体として影響の大きい事柄がたくさん起こったように思う。私自身が力になれるかというとするのはまた別の話だけれども、ともかく影響が大きいことばかり起きる。いろんな意味で春先には予定していなかったことばかり起きる。予定調和を愛するこの会社において予定調和をばかばかしいと笑う神様でもいるみたいだ。岡本太郎のような。

全体像を見る俯瞰的な姿を描く。 まっとうな話ではあるけれどもそんな時間も取れなければそんなスタンスも取れていない。そんな中でどういう風にあがいていけるのか?

実現可能性とあるべき姿とそして描きたい姿。全てが自由に軸を伸ばしきっている。その3つの軸を自由に浮遊するにはまた1つの軸を増やさなきゃいけない。思考の中ではあくまで4次元的だ。でも、それを司るような余裕があるわけではない。俯瞰的なことを考える、俯瞰的なことを表現する。そうした、大きなお題と並走する中で、打ち合わせの日程を調整したり、事務的に必要な物品を払い出したり、そういうことばかりしているような気もする。余裕がないは言い訳だ。でも言い訳の中では割としょうがない言い訳だと思ってもいる。

私たちは分かり合ったり助け合ったりできるのにやらない。共感するとか同情するとかじゃなくて普通にそれもそうだねみたいな価値観。そういうことをいろんなものに考える時がある。別に全部を理解する必要もないし、常にあなたに寄り添う気もさらさらないんだけど、拒絶や非難、その前に取れるスタンスみたいなものってあるよなとよく思う。インターネットは拒絶や非難、または同意や賛同、その程度の反応しかうまくできないように管理されているかもしれないね。

すっかり年末の時期に入ってきた。年末年始はホリデーシーズンというところで、私はそれが好き。意味もなくウキウキしてた方がなんだか健全な気がする。