sixtyseventh.diary

とりとめはない

2024-04-18

朝から喉が痛い。打ち合わせだけ済ませて、休みにしたが、大学の教材が届いてわくわくしてさほど休まなかった。

大量の活字にテンション上がる

午後、急にだるくなり、眠る。熱が出ていたのかもしれない。目が覚めたら汗だくで、熱を測っても平熱だったけれど。

少女大河ドラマのおかげで、貴族社会に関心を持っているのは本当にいいことだった。日本の美術史について学んでもなんというか、理解度が高まっている気がする。それにしても、縄文土器、火焔型土器とかのそれは、あまりに唐突ではないか。即物的な用から距離をもった意図を持つ造形は、ヒトならではなのかどうか。絵を描く象がいたが、あれはどうか。ヒトの感知し得ないところで、あるいは私のただ知らないだけで、他の生物も造形を嗜むのだろうか。縄文土器の話を読むたびに、宇宙の発生のような緊張感がある。

2024-04-17

うすうすそんな気がしていたが、これは風邪のようだ。喘息発作かしらん、とも思っていたが、多分風邪の類で、新型感染症である可能性がないとまで言わないものの、いわゆる風邪で良かろうと思う。外出時にマスクをしつつも、どうにもだるくてしょうがない。

今日一番だるかったのは、仕事しようとした矢先にOSのアップデートをせまられたところで、これで出鼻はくじかれるし体調悪いしで、寝た。持ち直してはないが、社内の打ち合わせと、資料作成をやり、おしまい。資料を作成していると、楽しい気持ちと、あれ、これ何言いたいんだっけ……という気持ちがそれぞれ波のように打ち寄せて、結局今日は仕上げられなかった。明日ブレイクスルー来てくれ。

寝ながらそこそこ本を読む。自然、生態系の一つの果てとしての人体というのは(あるいはどの動物も生き物も「そう」なのだが)考え方が好きで、そうなると、ビーバーの齧った木同様、いわゆる人工物も自然のひとつと私は思う。さて、人間のあれこれに、これといった特別な観は私にはあんまりなく、それぞれの生き物にヒトも含まれており、そういう、果てしない風呂敷である宇宙と、そこで織りなされる芸術的な森羅万象に思いを馳せるのだ。仮に人間を特別視するとしたら、私は、人間同士でわかり合う、建設的な生死・行動に直結しない芸術にあるような気もしており、ただ、それは人間に分からないだけで他の生物もやっている可能性はあるのだが、ともかく、身命賭して何らかの術をする、それはすごく、宇宙の在りようとして魅力的だと思う。感受性と発散が隣り合ったスリリングな、芸術に、私は取り込まれたいし、もみくちゃにされ続けたい。

ムサビから何かを発送してくれたようだが、これが履修登録をした科目の教材だとしたら、ECみたいな速さでびっくりしてしまう。届いてみるまで分からない。もしそうなら、しばらく、読書よりさきに学習を進めるだろう。

頭がいいことと、仕事で結果を出すことは何ら関係がないのでは? と今朝ふとひらめいて、少し落ち着いたが、やはり風邪には太刀打ちできない……。

2024-04-16

昨日今日と仕事のやる気が全然出ない。金曜は果てしない万能感で終えたのだが、なんか、周りは優秀な人ばかりだし、経歴もガツガツ感もない自分が頑張ったところでな〜という気配がサブリミナルみたいに挟まってきていて、頑張らないと楽しくないのはそれはそうなのだが、とにかく、ぐなぐなしているのである。

大学の履修登録をミスってびっくりした。何よりしょぼいミスをやらかした自分にびっくりして、逆に面白かった。

YouTubeの視聴体験がよかったことなんてあんまりなくて、それでもそこにしかないかもしれない面白いものを頼りに見る。見るが、文字起こしされている方がやっぱりいいな。YouTubeがAIで文字起こし(ちゃんと、読み物のレベルになってるもの)を提供してくれたら、それにはお金を出すかも。

外骨格と、腹部に肋骨がないことと、呼吸器。肝臓を大切に、やはり、するべきだ! と思ったのに、ビールを飲んでしまった。休肝日って言葉はちっとも好きじゃないが、だって酒を飲んでなくても肝臓は忙しいんだから、それはそれとしていらん負担をかけている気がして心配になってきた。義務教育で肝臓についてネチネチやってくれ。

このなんかぐなぐなした気分は会社に行ったら少しはマシになるかな〜。ぐなぐな。ぐなぐなぐな。

2024-04-13

国立西洋美術館の「どようびじゅつ」プログラムに参加。期待よりずっとずっと楽しいものだった。こういった活動を美術館から提供してくださること、感謝にたえない。私ももちろん主体的に楽しんだ、絵に描かれた木にさほど関心を持ってこなかったが、あえてつぶさに見ると面白い。子どもと一緒じゃなくても、絵をアクティブに鑑賞するやり方の一つをおすそ分けするような取り組みは必要なのかもしれない。絵を見ること、絵を描き出すことの豊かさもまた、人生をよくする。

翻って東京国立博物館中尊寺金色堂の展示は、芋洗いでよく分からなかった。あんまり展示物も多くなく、まあそもそも平泉の中尊寺に行ってそんなに面白いかというと、というところもあるかもしれない。中尊寺のあたり自体は結構楽しいのだけれど、金色堂はあんまりバーンと来なかったんだよな。それでも、金色堂の仏像をまじまじと見つめられるのはかなり貴重な体験ではある。わたしは、地蔵菩薩が同じようで微妙な差異があることが面白く、小学生に興奮して伝えた。小学生は木棺にびびっていた。ショップで、かなり可愛かったので、持国天の足元のあれをモデルにした「邪鬼ぬいぐるみ」を買ってしまった。人が多くてじっくり見られなかったけど、それでも8Kで再現した御堂映像はかなりすごかった。中尊寺金色堂に行くより、圧倒されるかもしれない。でじたるついん?

帰り、ふと焼肉の口になってしまったので東上野で焼肉。うまい。

帰宅後階段でかるくころんでしまい、掌底と膝が微妙に痛む。残念だ。

2024-04-10

朝送り、出社。採用広報記事のインタビューというか座談会的なものに応じる。ランチ、ロープレ、ミーティング、色塗り、ミーティング、研修っぽいもののファシリテーター・講師、退勤。

身体の正面に御椀を置いて座り込んで手を合わせている人間がいたので、何に祈っているのか聞くと、拝んでいるとのこと。何を拝むか聞けば、信号と。交差点だが、中央通りの順路通りのそれではなく、横断する信号を拝んでいると。祈りと拝みの違いが私にはまだ分からないなと考える。

帰宅後晩酌。夫とあれこれ話す。

しみじみ、人ではなく、システムや手続き、制度、モーターでなく車体に興味があることに気づいた。人は大事だが、いつ死ぬとも消えるとも逃げるともわからず、であれば、陳腐化したとてそのハコをいつでも壊して作る、砂場遊びにこそをかしけれ。