sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-04-16 FBIもタップダンス

仕事が長引いて歩く新宿東口では歌うやつも缶ビール片手に喋ってるやつもいて、一年後からこの国は何も変わってないしウィルスにも対応できてないのに、とにかく出歩く人はめちゃくちゃ増えているのである。まあ私も出歩く人だけど、流石に人と飲む元気はない。

それで、結局、自分が発達障害の傾向があるということで生きていくか、やはり「そんなん言うても皆そんなもんじゃないの、自分なんか就業出来てるし診断してもらう必要はないでしょ」と選択肢を一旦無視するかと検討していたが、そういう傾向があるならあるで、ま、自分の脳機能はズレているのだと認識しておいたほうが大層楽だなと思ったので、発達障害を診察できる病院へ行ったのである。

思い返せば特異だったかもしれないことや、とはいえかなり頑張れば就業もできること、なので障害があるとまでは言えないが、一方で二次障害と思しき症状に悩まされることもあること、そんなことを生育歴含めワーッと喋っていた。

曰く、広汎性発達障害の傾向と、ADHDの傾向がありそうだから、検査をしてみて、そのあと投薬するにしてもしないにしても、方針を考えましょうという話になったのだった。

あんたまぁ会社員を頑張ればやれるんならそんなん心配しなくていいよガハハとなったら、ひゃー今後もやっぱり頑張り続けないとならんのか、みんなこんな頑張って生きてるのか、無理無理〜そんなん死んだほうがマシ〜〜〜と思うところなので、ひとまず受け止めてくれてよかったなぁと安心である。人に比べてどうこうは知らんけど私は私で生きるのは基本辛い。どれくらい辛いかが気分によって激しく上下するだけで。

まあそんなわけで、皆がおかしいんじゃなくて私がおかしいのでは仮説の検証が進んでおり、まあその方が気は楽だ。人にムカつかなくてよくなるから。みんなは悪くない、私は頑張ってる、今日も元気だトロピカル~ジュプリキュア。頑張れなくなったら、それは私はよく頑張ってるねってだけで、電池切れなので、休んだりする言い訳が自分にしやすい。ような気がする。

周りじゃなくて自分がコミュニケーション能力不全だという可能性の話

いろんな切り口で書ける気がし、どう書いたもんかと悩んでいる間に3年くらい経ちそうなので、読みやすくまとめることは諦めて思いついたことを書く。

人生であんまり検討しなかったことの一つに、自分が発達障害である(あるいはその傾向が強い)ということがある。なぜなら、どう考えてもアウトプットとしての人生は一般的な尺度から見ると成功している方としか言えず、抱えている悩み(しばしば現れる希死念慮や、パニック障害や、急なやる気の喪失や、飽きっぽさ)は、結局のところ、いい大学とされる大学を出て伴侶もいて仕事もあって、という人生の結果から考えると、しょうもない悩みと断定されるようなものなんじゃないかと思っていた。

まあ、そう思っていた事自体がまるで間違いだったわけでもない。

ただ、とある機関で相談しているときに(契機は、自分が特別に優れているという思い込みを客観的に排除するために知能検査を受けて平凡な結果を得たいという要求にある)、発達障害とは診断しないが、その傾向がある、と言われて大変驚いたのである。しかもASDの傾向がある、と言われたのは一切考えていなかったので驚いた。

コミュニケーションが苦手、字義通り読み取る、というようなものが一般的なASDの特性だと思っていたので、いやいや、私はコミュニケーション苦手じゃないよ、人見知りもしないし、冗談も言えるしね。と検討リストから完全に除外していた。むしろ、私の周りはなんでこんなにコミュニケーションが下手なんだろう? と考えていた。どうして伝わりにくい言い方をするの? どうして曖昧なゴールを設定するの? どうして結論のない会話をしたがるの? 努力してまともなコミュニケーションくらいしてくれよ、と苛立ってすらいた。

それが、逆に、私がコミュニケーションに苦労しているからだとは一切考えていなかったというわけで、とはいえASDの傾向に思い当たるフシはある。まず、目的のない集団行動が辛い(頑張るので、人並みには出来る)。雑談が辛い(頑張るので、人並みには出来る)。予定変更と先の見えない予定が苦痛(頑張るので、臨機応変な対応はできる)。明確な目標の設定されていない業務依頼がストレス(なので明確な目標や水準を自分で設定するようにしている)。嫌なことにすぐ苛立って嫌だと言ってしまう(これは私に対して腹立ってる人もいるだろうなという気はする)。相手が結局何を言いたいのか分からない(が、言いたいことがないのかもしれないので保留)。

このうち、「頑張るので」を無視していたような気がしていて、目から鱗だったのである。そうか、謎の「私は何にでもめちゃくちゃ頑張って結果出してるのになぜ皆頑張らないの?」の、「めちゃくちゃ頑張って」は、なんというか定型発達でいてかつ人並み以上のアウトプットを出すための頑張りでしかなく、マイナス地点からめちゃ藻掻いてるから人より頑張って疲れている気がするのではないか。と、いう観点は今までなかったので、検討に値するというか、その、自分の苦手な行動をめちゃくちゃ頑張っているということで認識してみるのもひとつアリなのではないかと思ったのである。

一方、ASD傾向があるからという前提で考えてみても、結局、社会的に困っている一次障害は正直ほとんどない。めちゃくちゃ頑張ればなんとかなる程度なので、発達障害の診断がくだされることはないと思う。が、二次障害、ましになったり酷くなったりする鬱や、パニック障害みたいなものは、これはなかなか波があるので付き合い続ける必要はありそうだ。そして、付き合い方が深い人に対しては、理解してもらえるかは分からないけれどかなり頑張ってこの表面を保っているし、過剰な努力をあんまりやめる気もないので、時折電池が切れてしまう予定であり、誠に申し訳ないと謝ることは必要だろうと思う。

グループワークに参加することとかも気晴らしには良さそうだけれど、そこでもつるむつるまないみたいな話があったら非常にだるいし、つるめない自分というのは多少コンプレックスがある(つるもうとすると大体、余計なことを言ってしまう)ので、それをいちいち自覚したくはないのだよ。面倒くさいけど、寂しいな、って思うことはあるわけで。いや、でもめちゃくちゃ頑張らないと輪の中でのほほんとしている風を演出できないので、やっぱりつるめないままだろうな〜〜〜と、思うが。

会社のSlackの分報をやめた話

私は今では名ばかり管理部長であり、広報担当である。名ばかり管理部長なので管理部長をめちゃリクルートしているのだが、メイドカフェ大好きで根暗な人格が勧誘してもマーケットに求められなそうなのでそれは一旦置いておく。

さて、随分前、3ヶ月ほど前に会社の私の分報を閉じた。色んな理由がある。辛いな、となっても分報では救われない。承認欲求は満たされない。つかTwitterにでも書けばよくね、みたいなこともある。Twitterに書けないことを分報でやる意義が、気が滅入ってるときにはわからん。そんなところ。

で、今。

同僚にしたい雑談はある。私はほとんどリモートワークなのでなかなか雑談が出来ない。なのでたまに人の分報に乱入する。

しかし、私自身の分報は、トータルで見て閉じてよかったと思っている。

伝えたいことは伝えようと努めないとならず、分報で伝わると思ってしまうのは甘えだ。伝えないとならないことではないことを、なんとなく垂れ流したって誰にも伝わりはしない。Twitterでfavを待つほうがまだ健全なように思う。

多分、私の性格上(とーっても承認欲求が強い)、もう会社のSlackで分報をやることはないと思う。しんどければ直接言うし、楽しければ直接フィードバックする。業務外であればTwitterか、メイドカフェで推しにウフウフする。その方が私にとっては健全な営みなんだなと分かった。

煙草部屋のコミュニケーションなんか煙草部屋でしか再現できないんだよな、と喫煙者はしみじみ思うわけでもある。分報はファジーなコミュニケーションの促進ツールとして完全ではない、と理解されたい、ともね。

2021-04-04 いつも仲良しでいいよねって言われて

メイドカフェ、というかあっとほぉーむカフェのことを書く。

最近、ドンキ店のメイドさんの卒業や卒業発表が多くて割と深めに落ち込んでいる。1年前から通い始めて、卒業を見る度に、そうか、まあ魔法も永遠じゃないからな……と理解しながら、私の好きなメイドさんも卒業しちゃうんだろうな、とふんわり想像はしていた。していたけれど、実際に好きなメイドさんが卒業発表して、卒業することがこんなに虚無な感じだとは思わなかった。

私は、メイドさんにとってただの客(ちゃんといえばお嬢様)なのだけれど、好きなメイドさんについては、私にとってはただのメイドさんではなく、MさんであったりRさんであったりの固有名詞のある輝いた存在であって、その非対称性を否応なく感じさせられるのだ。卒業は。

私はあなたを失う、失ってしまう。当然、メイドさんそれぞれにとっても、もしかしたらたのしい経験をした場所や、気の合う同僚とともにお給仕する時間を失うことにはなるのだけれど、そこにある客はほとんどがまあ、環境音みたいなもので、森の中の音が落ち着くねといっても葉っぱ一枚のこすれる音があろうがなかろうがそこまで影響はない。という非対称性。

それが嫌だとかではなく、普段メイドカフェに帰宅するたびにそんなことは考えないし、そういうことを感じさせないように皆ほんとうによく相手してくれる。だからこそ、卒業という現実にいちいちはっと、苦しい気持ちになるわけで。

あらゆるもののオタクをすることは、おおよそ虚無で、オタクは、オタクをする対象に何も影響できない、するべきでない存在なのだ。無力だ、としみじみ思う。それが嫌ならオタクやめろなのだが、そのモブ性もオタクの醍醐味ではある。

どうも、ここ最近、卒業発表がしんどいメイドさんの「お知らせ」が続いていて、やっぱりしんどい。しんどいって2回も書いてしまった。このまま、かなり推してるメイドさんまで卒業発表したらどうしよう。人生とまでは言わないが、もう話したり出来なくなるんだろうなぁ、と思うと生活に対して危機感さえ覚える。生活の彩りが欠けてしまう。

子どもを眺めているとき、私よりも自分の子が長生きすることを強く願う瞬間のようなものがある。そんな風に、いっそ推しが卒業する前に他界したい。他界したいけれど推しがいる現場にいかない理由はない。そして推しがいる現場で推しのことをまた強く応援したくならない日なんてない。

ポジティブなループのはずなのに、最近はもはやメイドカフェのオタクをやるのが怖い気さえする。オタクじゃなければこんな風に無意味に落ち込まなかった。でも、オタクじゃなければ、推しには出会えなかったし、メイドカフェで活力めいたものを受け取ることもなかった。

もう一、二週間したら呑気なオタクに戻れる気がする。せめてしばらくは、好きなメイドさんの卒業発表がありませんように。メイドだから好きだし、メイドじゃなくても応援し続けていたいよ。

2021-03-11 月日は流れるもの 景色も私も変わるもの

10年前のことを思い出してみようと思う。

あの日、私は大学の春休み、3年次にあたるものの留年していたので同期のやっている就職活動はしないまま、なぜか小説を書いていた。

なぜか、というのも、春休みだから理由が思い出せない。長期休みでなければ確かにゼミがあるので、合評会に伴って小説を書く必然性がある。新人賞に応募をしようと思っていたのかもしれない。

そういえば2011年に入って比較的すぐ椎間板ヘルニアをやってしまい、腰爆弾を抱えてから10年になることにも気づいた。ヘルニアがあまりにしんどく、ツタヤのアルバイトを泣く泣く辞めることにして、有給を消化していた時期だった。

とにかく、だらだらと、大倉山*1の1Kで生活していて、とても小さいテレビをつけたまま、ラップトップに向かっていた、10年前の14時頃。

緊急地震速報が鳴動したかは私の記憶にはないのだけれど、とにかく揺れが大きくなることにびっくりして、揺れがおさまる前に母に電話をかけた。揺れている最中はまだ携帯電話が繋がったのだった。しかしそれから割とすぐ、キャリアメールは使えなくなったかと思う。あの頃は確かiPhone3Gから買い替えたiPhone4あたりを利用していた。

家のものが壊れた覚えはないが、ユニットバスの水洗トイレのタンクから水がこぼれていたことには驚いた。ちゃぷちゃぷ揺れてしまったのだろう。そんなに揺れたんだなと改めて感じた。そういえば電柱はグワングワン揺れているように見えたし、揺れのあとベランダに出て外を見てみたら、同じように外に出てなんとなく町を見渡しているひとを何人も見た。

あとはテレビでずっと、NHKかの中継を見ていた。もう放映されることのない、そして、それまで放映されたことだってないような、中継。速報テロップで第一報が出た、荒浜地区での多数の遺体発見の報せが私にとって随分深い記憶になっている。津波を見た、そのテレビ液晶の事実が、別の角度で報せられる。

当時の恋人(今の夫だが)にはGmailTwitterで早々に安否確認をとって、しかし大倉山からは遠い東京都内の状況が心配になる。何がどうなるかわからない。

武蔵小杉のあたりで地震に遭い、東横線で帰れなくなってしまったゼミの先輩が困っていたので、うちに招く。その間に、バイト先のツタヤへDVDを返しに行く。Zガンダムか何かを見ていた頃だと思う。たまたまバイトの同僚に会い、ツタヤの隣のファミマの前で煙草を吸いながら、ビビるね、なんて話をしたような気がするがもしかすると妄想かもしれない。

菊名の東急ストアにはもうあまりものが残っておらず(日暮れ前なのに)、しかし先輩に出せそうな惣菜か何かを買った気がする。

先輩がたまたま来てくれなかったら随分不安な夜だったろう。夜、気仙沼の沿岸の火事の映像を見かけ、しかしもうしんどくて早く寝たいと思って早々に寝たような気もする。先輩の花粉症がひどかったことも覚えている。なんだかんだ眠れず23時位まで起きていたかもしれない、夜も深まりつつある時間に、確か東京メトロで一番早く動き出したのが銀座線だった、はず。当時、母は銀座線沿線に住んでいたから、さっさと帰れたと喜んでいた。

覚えているようであんまり覚えていないような気がしていて、この記憶も毎年思い出すたびにちょっとずつズレていくのだろう。それでも、私は毎年思い出すんだろう。

*1:新横浜と菊名の間あたりにある東横線の各駅しか停まらない町

2021-03-10 今ここにいるあなたをぎゅっと抱きしめるの

特に日記を書く日書かない日にこれといった区別はない。

先週から今日までをざっくり振り返ると、相変わらず花粉症で地味に不調が続いており、ピアノはぼちぼち練習して少しずつ思うように弾けるようになってきて、仕事は時間的にはハードではないがそれなりに自分を追い込みつつストレッチ、そんな感じでとりたてて、一週間の中のトピックみたいなものはあんまりないのだった。

そういえば、なんとなく他社の面接を受けており(転職活動というよりは、ヘッドハンティングなりなんなりがあって関心があれば話聞く感じ……)、2年近く前の転職活動に比べると随分被選考者としてアピールするのがうまくなった気がするのである。自分という商材をアピールする方法や、そのエビデンスが今の仕事を通じて補強されてきた感じ。とある面接で、私に対するフィードバックをお願いしてみたのだが、何より、ロジカルに話すと言われたことが嬉しかった。コミュニケーション……何か、きちんとした(い)コミュニケーションをするときには、いつも、論理的に考えた頭の中を着実に面前に展開したくなる。そういう心がけに気付いてもらえたということは、きっと相手も論理的な伝え方について心がけている人なのだろうなと安心する。

一方で、まあ別に現職をどうしても辞めたいとかはなく、ものすごい不満があるとかでもなく、有り体にいえば「市場価値を知りたい」がきっかけではあるものの、ミイラがミイラとりになったりするわけで……。キャリアについてどう考えているか、という会話を複数回してみると、自分の志向性が具象化されてくる、ような感覚がある。とはいえ今の仕事(職掌として)をずっと、10年とかやった先に、私はどうなりたいんだろうか。というのは分からない。未知の世界のための眼鏡のような存在でありたい、と3年後も思っているだろうか?

キャリアへの展望よくわかりません、ではそろそろ怪しい年頃も近づいており、しみじみ仕事だけしてるってわけにもいかないね、と思うのである。仕事だけした先に、裁量もない、若さからくる勢いもない、そんなミドル世代になるのは嫌だと強く思う。

さて、明日は黙祷を忘れない。

2021-03-03 右脳が戦場になって

総じて花粉症が辛い。ぎりぎり日中持ちこたえたが鼻水が止まらないナイトとなっている。鼻水が止まらないときメイドさんってどうしているんだろう。私はティッシュを鼻に詰めてマスクしています、ただの会社員だけれど。

今日は思い立ってプレスリリースを急に書いて、急にプロモートしたりしていた。またプッシュしたいので明日か明後日引き続き。プレスリリースが手元にないことにはなかなか営業活動ができないわけで、とにかくネタ!ネタ!ネター! な仕事なのだとここ数ヶ月でしみじみ分かってきた、気がする。

あとはヘッドハンティング?されているのでそのやりとり、等々。振り返ってみるとこの一年半ちょっとで随分ビジネスパーソンとして成長したもんだな、としみじみしている。いや、成長というのが正しいか分からないけれど、道具箱に気に入りの文具をぎっしり詰めている感じ。そう、いつも私の仕事は……私の好きな仕事は、私の見つけた素材を私の道具でいい感じに加工することに大変よく似ている。もっと道具をかっこよくしたい。更に道具を集めるというよりは、いまは刃を研ぐ時期のような気もする。

今日はピアノに触りそびれてしまった。そういう日もある。明日娘をピアノに連れていくという強い意志。鼻水が止まりますように。