sixtyseventh.diary

とりとめはない

2024-07-27 「てあて・まもり・のこす 神奈川県立近代美術館の保存修復」(神奈川県立近代美術館 鎌倉別館)

夏の盛りの鎌倉市街地はかすかに涼しい海風が吹いており、なんだかいい気分になったのも束の間、鎌倉別館まで歩く間に酷く汗をかいた。

神奈川県立近代美術館鎌倉別館に行くのは初めてだ。葉山の方はどうかというと、これも記憶にはない。保存修復にフォーカスを当てた展示を首都圏で行うのは珍しいと思い、何の作品が展示されているのかも調べず、横須賀線総武快速線を一気に南下した。展示室は広くなく、人もそう多くはない。

古賀春江《窓外の化粧》1930,神奈川県立近代美術館

何か作品を見た覚えはあるが、このとき作者の古賀春江の名前を知り、《窓外の化粧》という作品をよく思った。ワニスの塗り直しという修復が行われたと紹介されていたように思うが、画面の多くを占める青は印象的だった。この作品の修復が行われたときには、ドラクロワの例の作品の修復*1のように一定の驚きがあったのではないか、と想像する。鑑賞者は修復の前後で違う青色を見ていたわけだが、このとき、作品はどこにあるのだろうか。美術作品は永続するようでいて、時の中で刻一刻と変化している。作者の表現する美的な意図と、鑑賞者が考える意図の間の決定的な断絶に対して、どう考えるか、私にはうまく分かっていない。

山本鼎《哥路》1917-1918,神奈川県立近代美術館
木版の作品。87.0×55.5と比較的大型の絵画で、犬と婦人の眼差しが印象的だ。犬の後肢の脱力具合や、毛の落ち着いて流れている感じから、長くこの婦人と暮らしているのではないかと思わせる。他方、婦人は左眉をわずかにしかめ、こちらを見ている。頬に淡い朱色の着色をされているのは、炬燵で火照っているからか、あるいは。口元を犬で隠す婦人に、私は少女らしい茶目っ気を感じた。山本鼎について軽く調べると、作品の描かれた頃に北原白秋の妹いゑ子と結婚をしているらしい。しかも、『哥路』という小説まで書いている。どちらが先に成立したのか……。

この作品の右側の欠損は、意図的なものでなく、欠損なのである。何か重要なモチーフが描き込まれていたとは思えないが、刷ったあとの状態で鑑賞してみたかった。それでも、修復したというひびや亀裂はさほど気にかからず、手当てがすごい、と純粋に感動した。

高橋由一《江の島図》1876-1877,神奈川県立近代美術館

《江の島図》を鎌倉別館で鑑賞したのは、純粋によかった。初めて見る絵だが、圧倒的に「この作品はここで見るべきだったのだ」と感動した。江の島の(湘南の)いつも少し気怠い海風や、このあたりで生活している様子、恐らく日中の活動を終えて夕暮れの近づく空の色。《江の島図》は初めて鑑賞するが、私にとっては江の島はやや馴染みのある風景で、150年近く経過しても変わらないその土地の風や光を、高橋由一の目や筆を重ねて見ることに尊さを感じた。一枚の絵が何であるか、ということのうち少なくない比率が、結局個人的な経験に依るのだろう。

作品の修復もかつてなされ、いまも安定した状態とのことだが、この展示の面白い点が額縁だ。上の画像の額縁は、いわばオリジナルのものだそうだが、額縁自体の劣化が進んでいるため、他の展示へ貸し出す際にはこのオリジナルの額縁を模した額縁に入れて貸し出しているのだそう。カンバスに描かれるものだけなく、額装も作品の世界を左右する。額縁・額装に関しては8月に見た「空間と作品展」(アーティゾン美術館)でまた色々と知り面白かったのだが、このときはひとまず、額縁の保存について考えたこともなかったので、保存するというのはずいぶん大変なものごとだと衝撃を受けたのである。

アルベルト・ジャコメッティ《裸婦小立像》1946頃,神奈川県立近代美術館蔵|正面から

小立像という名だけあり、直方体状の土台を除くと6cmほどの高さしかない。

アルベルト・ジャコメッティ《裸婦小立像》1946頃,神奈川県立近代美術館蔵|向かって左側から

こんなに小さくてもジャコメッティの彫刻だと分かるのだから、ジャコメッティの作家性はずいぶん尖っている。この小さな作品をどう保存しているのか(「まもり」)、展示内で明確に分からなかったことが惜しい(どこかで説明されていたのかもしれないが、そうだとしたら見逃した)。自分だったらどう保存するだろう。彫刻作品自体を固定し収納する小さな内箱を作ったうえで、他の作品と同程度のサイズ感にするために、50cmくらいの外箱に収納するくらいのことしか考えられない。そもそも作家は作品を保存することまで考えて創作しているのだろうか。これまた「TRIO展」(国立近代美術館)で指示書のある現代作品の展示を見たが、それもずいぶん珍しい話なのではないだろうか。作家が「自分の作品が(発注者の空間や美術館といった公共空間で)展示されるだけでなく、(梱包等を施されたうえで)収蔵され、(時が経てば)修復される」というプロセスを考えることはあるのだろうか。このプロセスはいつから起こったのだろうか。

捕虫記録紙とファイル

作品を保存するうえで脅威となるものの一つ、虫。記録紙に、虫のイラストが描かれている部分もあり、面白くて撮影した。昨年の私の誕生日には、5~6mmくらいの飛ぶ黒い虫がいたらしい。

修復に使う道具一式

美術作品をどのように修復し、保存し、展示するか。作品修復以外について、ちょうど大学の「博物館資料保存論」「博物館展示論」で学んでいたこともあり、実際の関連用具・資料を見ることが出来たのが非常に良かった。この数日後からスクーリングが始まった「ミュゼオロジーI」の勉強にも活かせる部分があった。それはそれとして、美術作品が作者のもとを離れたあとのこと──その作品が滅失しない限り、ずっと続く時の中で考慮されること、というのは、作品に影響があるのだ。この展示では特に触れられていなかったように思うが、美術作品を「正式に撮る」ことも、似た観点で興味深いことだと想起する。

作品修復について、多分さまざまな観点で研究されているだろうが、もれなく私も気になる。作家の手元を離れた作品の、人生というか、作品生・作品自身の経験のようなものと、その各ポイントでさまざまな鑑賞者が自己の人生の一部として触れる作品に対する体験と、というものを検討したときに、作品修復はどちらにとってもかなり大きなポイントだ。それがなぜ大きいのか、その大きさをどう判断するのか、ということについて、考えてみるのもいいかもしれない。

帰り道、なんだかんだ、神奈川にいると懐かしい気持ちになる、ということも考えていた。

*1:民衆を導く自由の女神》の修復後、2024年5月に公開された件

2024-08-14(東京国立近代美術館「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」)

3箇所の美術館から3点の作品をひとつのテーマに基づいて展示する、という試みに、一種の軽薄さも感じつつ、しかし、モダンアートについてどう考えればいいかかなり分からない中で何かを楽しめれば、と思い出かけた。東京国立近代美術館には実は初めて行ったが、竹橋駅から堀を渡って向かうのも、なんとも言えない広さの芝生も、結構好ましく感じた。

神奈川県立近代美術館で《窓外の化粧》を見たときから、古賀春江の作品にすっかり惚れてしまった。TRIOでは予期せず──といっても、展覧会で何が展示されているか丁寧に確認することはほとんどないのだが──《海》を鑑賞する機会に恵まれて幸運だと感じる。

古賀春江《海》(1929)

カンヴァス上のコラージュが成されているといっていいこの作品の、妙な浮遊感。古賀春江の作品には、完全な空想でもなく、写実作品ともいえない、あわいの美しさがある。あわいの美しさと便宜上言ってみたが、あらゆるものであり、あらゆるものではない、二元的観点では語り尽くせない「中であり外である」インプレッションがあって美しい。これはどこでもなく、しかし、どこでも幻視しうる海のような。艤装を剥ぎ取られ、内部機関をもろだしにされた船や近代都市と、デッサンが巧緻とはいえない水着の女性が調和している。私はこれを好対照のモチーフとは言いたくない。コラージュ様の画面設計において、あくまで万物は海において調和しているのだ。

この作品は「近代都市のアレゴリー」として、前田藤四郎《脚と機械(廊下に立つ婦人)》(1928頃)、ラウル・デュフィ《電気の精》(1953)らとともに展示されていた。

ラウル・デュフィ《電気の精》を鑑賞する人々

私はあいにく「近代都市」の様子を目の当たりにしたことはないが、例えば中原中也の妙な浮遊感のある詩がうまれたゆりかごであったことだとかを知っている。近代都市は決してその時代に遍く存在したものでもないし、その時代に生きた者すべての知るものだったとも言えないが、それをアレゴリーとして描き出す傲慢さに私は好感を覚える。西洋におけるキリスト教の寓意であればいざ知らず、何の教義にも浸っていない──例えていうとしても、ほぼカルト宗教の「近代都市」をアレゴリーとして描き出すことは傲慢だ。作家にその意図がどの程度あったのか、もしなかったとしても、そう見られることから脱けることが極めて困難だった中で、素朴に「近代都市のコンテクストとは無関係だ」と20世紀に主張するのは苦しい。

ジョルジョ・デ・キリコ《慰めのアンティゴネ》(1973)であるが、デ・キリコ特有のシュルレアリスムを改めて浴びるとともに、この奇怪さを生む一つの要因かもしれない箇所を見つけた。

ジョルジョ・デ・キリコ《慰めのアンティゴネ》(1973) 一部

額縁とカンヴァスのサイズに不和があるのだ。カンヴァスは額縁より一回り以上小さく、この黒い部分は裏板と思われるような部分である。カンヴァスと額縁の大きさが不一致である作品は他にもあった。

吉原治良《菊(ロ)》(1942) 一部

吉原治良《菊(ロ)》(1942)もカンヴァスが額縁よりも小さく、裏板のような部分が見えている。デ・キリコよりも30年以上前の日本油画でこうした額装が行われているということは、さらに遡って西洋での起源が見られそうだ。あいにく、こうした額装のトレンドについて調べることが出来なかったが、もし何かご存じの方がいればお教えいただきたい。ちなみに、《慰めのアンティゴネ》は私のイメージしていた冷徹なシュルレアリストの作品というよりは、「表情」が表出していないなかで、オイディプス王を慰めるアンティゴネの慈しみだとか、あるいはオイディプス王の哀しみであるだとか、そういうものを受ける作品であり、優しくかなしいものであった。それは、現実を超えているのか……非現実的な表象からあくまで現実を想起するしかない私という鑑賞者の哀しみとも言えるかもしれないが、果たしてデ・キリコはどうだったのだろう?

フェルナン・レジェ《パイプを持つ男性》(1920)はポップさのある作品だと感じた。この頃にはレジェはキュビズム一辺倒と言えない作品傾向になっていると言えるだろう。

フェルナン・レジェ《パイプを持つ男性》を鑑賞する二名

アルカイックスマイル的なほほえみが特徴的な人物。パイプを持つ右手は拡大されつつ、画面全体のコンポジションを保っている。10年後、モンドリアンの《赤、青、黄色のコンポジション》が生まれるわけだが、レジェの作品にはストイックな禁欲性までは感じない。どちらかというと、これもアレゴリーとしての幾何学モチーフのような印象を私は受けており、そこに良さを思った。

フェルナン・レジェ《パイプを持つ男性》 一部

犬のような何かがいたのもよかった。

柳原義達《犬の唄》(1961)

解剖学的には正しくないが、新たな量感と、アジア人的な骨格・肉付きを感じさせる。

柳原義達《犬の唄》(1961)

体の正面から見ると、この女性の右手はほとんど見えない。この像の制作に関するエピソードを知ると「なるほど」と感じる*1。なんであれ、作品には「描かれた/作られたもの」があると同時に「描かれなかったもの」もあるのだ。彫刻はいずれにしても多方面から鑑賞者が任意の視点で鑑賞することができるので、ここでは「見えなかったもの」があることに注目できる。彫刻の面白さがある。

柳原義達《犬の唄》(1961) 胸部

どういった表情だと言えるだろうか、私にはわからない。わからないままだが、ふと、康勝の《空也上人立像》を思い出した。頬骨の隆起と、うすくあいた唇だろうか。

イヴ・クライン《青いヴィーナス》(1962)

女性の身体前面にナイフを入れて剥ぎ取ったような作品だな、と感じた《青いヴィーナス》。見ていると、縄文時代の遮光器土偶のような、大地のリズムをほのかに彷彿させなくもない。

ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)《5つの白い形と2つの黒い形の配置》(1932)

なんだかかわいらしいなぁと思った作品。有機的なフォルムとしてトリオを組成していたのもあり、かわいいと思っていいのだと確信した。

ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)《5つの白い形と2つの黒い形の配置》(1932)

あたかも額縁の中の絵画のようだが、斜めから見た様子からも分かるように、これは立体的な作品であり、絵画とは言い難い。彫刻なのだろうか? 絵画なのだろうか? と不思議に思う。「1927年にアルプ最初の個展がパリのシュルレアリスト画廊で開催されたころから、アルプの作品で最も著名な有機的な不定形を持つ「具象彫刻」の制作が始まる。」*2 ともあるので、これは彫刻とカテゴライズしていいのだろう、まぁカテゴライズがなんであれ、この作品はかわいらしいのだが。ぼうっと見ていると、水槽の中の魚たちを見ている気にもなる。

ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)《植物のトルソ》(1959)

引き続きアルプの作品から。植物のトルソとはいうが、人のように見える角度(斜め後ろ)があり、面白い。

冨井大裕《roll(27 paper foldings)#15》(2009)

折り紙で出来ている作品。どうやって保管するんだ……と思ったら、展示されてはいないが「指示書」も作品として存在するらしい。保存や修復について作家自身が定義することはかなり稀で、ある意味、市井に開かれた芸術鑑賞というものも十分な時が経っていることの証左と言えそうだ。この作品を完全に模倣した際に、オリジナルは存在するか? というと、やはり、模倣者が何を受けてそれを作ったかというと、オリジナルは存在することになるだろう。では、何も知らない人がこの作品とほぼ同じような折り紙の作品を制作した際に、それは、どちらが高く評価されるべきなのだろうか。問い自体に恣意的な企みを含んでいるが──最近の分析美学的に言えばそれもやはり冨井の作品のほうがより深い美的達成がありうると思いつつ、他方で直前に言ったように、高く評価されるべきか、という問い自体に多分の「意味の無さ」もあり得るような気がする。私は、この作品の色合いと質感が好きだから好きなのであって、コンテクストまでいちいち考えて写真を残したわけではない。

今回の展覧会には小学2年生の娘を無理やり連れて行った。彼女が楽しいと思ったかどうかは分からないが、行きたいと思っていなくてもこうしたことに連れ回してみるのもいいと思うようになったのだ。実際、娘と話しながら鑑賞するのも面白かった。モダンアートは抽象的な表象も当然多くなるので、これは一体なんだろう、と考えるのもよい。TRIO展は比較鑑賞の水先案内を行っているわけで、近現代美術に苦手意識がある人によりそった展示だった。解釈違いがあっても、それはそれでいいじゃない、という鷹揚な気持ちで楽しみましょう。

五次元の射影(ブレイキンの美しさ)

スピーカーが2つあるってことはそこに2次元の世界があるってことなんですね

ご多分に漏れず、2024年パリオリンピックをつまみ視聴していた。録画してまで視聴したものはなく(そもそも録画したものを見るのが得意でない)、開会式と、女子3,000メートル障害、男子やり投げ、男子100メートル、女子団体新体操、男子ブレイキン、女子マラソンあたりをそれぞれ一部見た。それで、ブレイキンが大変よかったのでそのことを書く。ちなみに、私はブレイキンはおろか、ヒップホップ・カルチャーのことを知悉してはいない。日本語ラップを小指の爪くらい聞いたことがある。

ブレイキンは、何が正しい・よいものかということが形として定義されていない。日本の芸道では「守破離」という言葉があるが、ヒップホップ・カルチャーにおける師の教えだったり、そもそも「型破り」だったりというものがないと私は捉えた。ブレイクダンスの"break"も「壊す」ではなく「休止する」という意味合いらしい。

2024年の全日本ブレイキン選手権もNHKでやっていたので一部視聴した覚えがあるが、そのときはどう見ていいのか分からず、何とも感想を抱けなかった。よく回るなあ、動くなあ、交代のタイミングは決まっていないのかなぁ、それくらいの感想である。ところがどっこい、パリオリンピックオリンピアンたちのブレイキン予選はとても面白く見た。全日本選手権から一昨日までの半年間に何があったわけでもない。

カザフスタンのAmir(Amir Zakirov)

人体はそんなふうに動きうるのか、という驚嘆と、肉体の美しさ、DJのかける音楽にビタっとはまったときの快感、垣間見える対戦者へのリスペクトと好戦的な仕草。"スポーツ"なのか? というと、私の中ではそれが適切なカテゴライズだとは思わない部分も多くあるが、オリンピックで素晴らしいパフォーマンスの数々を見ることが出来るのは悪いことではない。B-Boy、B-girlが果たしてオリンピックに出たいと思うかどうかは別として、2024年パリオリンピックで栄誉を得る機会があったというのはヒップホップ・カルチャーの中でもユニークな機会だったのではないだろうか。2028年のLAオリンピックではブレイキンはないらしいが……(残念)。

ウクライナのKUZYA(Oleh Kuznetsov)

ブレイキンの競技時間は「ラウンドあたり約1分」とかなりラフに決まっている。予選では同グループ3人に対し合計6ラウンド(各2ラウンド連続)の対戦があり、グループ内でラウンドの勝利が多い順に本戦出場が決まる。ラウンド勝利数が同数の場合、票数の合計で決まる。ラウンド勝敗は9人の審査員の判定投票の多寡で決定するのである。判定基準についての詳細はそれぞれ調べてほしい。「この技を決めたら5点」のような採点基準のある競技ではないため、見ていてもどっちが勝つかは明確には分からない。審査員の票も必ずしもどちらか一方にのみ偏るというわけではないので、ブレイキンに詳しい人でも勝敗を明確に判断することは難しいのではないだろうか。ラウンドによっては、「まぁこっちだろうな」と分かりやすいこともある。競技時間についていえば、先に済ませたラウンドで有利だった(勝利した)場合、自分の見せたいブレイキンだけ集中してパフォーマンスし、ショートで終わらせることもある。つまり、1分間やらずに30秒ほどで切り上げる判断も選手が自身で行っていいのだ。

とはいえ、競技時間という時間軸の切り取りは存在する。競技時間に合わせてDJがあるわけでなく、DJの流すヒップホップがあり、それを選手が任意に切り取り、最高のパフォーマンスをするのである。「DJあれ」とヒップホップの神がはじめに言い、それからブレイキンがあったのである。*1

カナダのPhil Wizard(Philip KIM)

私の人生にずっと影響を与えている言葉の一つに、高校の時に物理の教師が言った「私たちは連続する四次元の中に生きているんですよ」というものがある。そのときにハッとして、それ以来時折、空間や、あるいはその高次・低次の物事について考える。線形代数幾何学、あるいは関連する理数分野を大学で学んだわけではないので、私がこれから言うことはそうした厳密な科学的世界とはズレたことかもしれないが、ともかく、私は連続する四次元の中にいるということに心底納得したうえで話すことにする。四次元というのは、この場合、一次元としての線、二次元としての線の連続である面、三次元としての面の連続である立体、そして、四次元としての立体連続である時間体である*2。私たちは連続する四次元に内包されているので、これを自由に操作することは出来ないという前提だ。

ブレイキンは時間軸を切り取る、といった。つまり、四次元よりひとつ高次の概念があったときに、ブレイキンは空間のみならず連続した時間体をパフォーマーが任意に射影として表現しているのではないか。五次元があった際の軸は何なのか、ここで明確に表現しえないが、宇宙には四次元よりも高次の概念が存在しうる、そういう啓示に繋がる美しさを私はテレビの画面から受け取った。ふだんのヒトの身体運動とは乖離した運動、他方で、ヒトには音楽に合わせて動く原始的欲望がある。ブレイキンの原始は、ホモ・サピエンスのそれと一にしながらも、その身体表現は40万年前のそれと絶対的に異なる。内奥にある精神は不変であって、外面に現れる運動が変動する。これはヒトの一つの発明で、動物としての美しささえ感じる。

ブレイキンには規範がない、というのはあまりに買いかぶりすぎだし、的確でもないだろう。規範がなければ、そこにはそもそも競技が成り立ち得ない。ブレイキン自体(ヒップホップ自体)審判のある競技として生まれていないが、結果としてオリンピックに採用できるくらいには、何らかのNormがある。そしてその中に、原始的欲望とそれを包み踊り狂うヒトがある。連続する時間体を切り取り、五次元の射影としての「約1分間」が生まれる。彼・彼女らがどう恣意的にやっているのか、ヒップホップ・カルチャーの中での神託のようなものなのか、私にはわからないが、もっと遠くにある宇宙の景色を私はブレイキンにうすら見た。

パリオリンピック男子ブレイキンのメダリスト

これから、ブレイキンのファンになるのか、というとオリンピックのトップパフォーマーたちの演技から入ってしまったのできっと細々と追いかけることは難しいだろう。それに、ストリート・カルチャーを競技としてやることそのものにそこはかとない違和感を覚えてはいるので、選手権を熱心に見続けること自体、いまの自分の中では腑に落ちない。とはいえ、ブレイキンの物凄さについては発見も多く、ヒトという動物をもっと好きに、愛するようになれる時間だと分かったので、五次元の射影の一瞬を求めて私はまたブレイキンを見るかもしれない。理想的鑑賞者ではないだろうが、そこに私が確かに感じた美的価値をまた味わいたい。生活が宇宙の中におかれている不思議を見た2024年のオリンピックだった。

*1:1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。(旧約聖書「創世記」)

*2:時間体、というのはいま仮で名付けてみたが、適切な用語もあるかもしれない。ただし、調べて修正することはしない

2024-03-27(東京藝術大学大学美術館『大吉原展』)

あれやこれやと話題にされた展示だが、始まるのがいつかも誰も承知せずに燃やすだけ燃やして、本当に虚しくなりつつも私は密かに楽しみにしていた『大吉原展』。福田美蘭さんの作品がキービジュアルとして使用されなくなってしまったのが残念だが、会場できちんと見ることが出来た。この作品が『大吉原展』のコンセプトをわかりやすく「コミュニケーションデザイン」されているかというと、そこには議論の余地があるだろうが、とはいえ現代作家が『大吉原展』を表現するにあたって非難されるほどのものなのか、自分にはいまいちしっくり来ていない。

『大吉原展』のコンセプトとは何なのか、ということ自体に話を持っていくと今日見た展示の話から逸れるので、とりあえず今日は扱わないし、書くにしても相当な分量で丁寧に「自分の認識していること」と「自分が解釈していること」等など書く必要があろうから(真面目に書いたらできの悪い論文になるかもしれない)、多分やらない。このブログ記事だけ読んで「こいつは性加害に消極的に加担している」と言われることがあれば、それは違うと言いたいし、今日『大吉原展』で私が考えていたのは、根本的に児童労働を強いられ性産業に(ほとんど)自分の意志なく従事させられ外出の自由もない「花魁」あるいは遊女(切見世なんてずいぶん最悪だ)たちが、あるいはそれらの行きていた空間が、一面では美とされたのか、現代で言うならば被写体であり続けたのか、というか、被写体として選ばれたのか。その生活や生い立ちを作家や版元が知らないわけはないところで、プロデュースした。それが「売れる」からなのだが、どうして「売れる」もの、価値のあるものだと思ったのか、そんなことをつらつら考えていたのである。ちなみに現時点で結論はない。

さて、まず肝を抜かれたのは歌川広重の『東都名所新吉原五丁町弥生花盛全図』である。作品は江戸博のデジタルアーカイブスを参照してほしい(Famous Places of the Eastern Capital : General View of Shin-Yoshiwara Gochomachi in March with Cherry Blossoms in Full Bloom | EDO-TOKYO MUSEIUM Digital Archives)。画面に引かれた線のような、これを「すやり霞」と呼ぶそうだが、こういった表現の錦絵は初めて見たので感動してしまった。錦絵で、珍しくない表現なんだろうか? あまりに感動したので雑なメモを残している。

美術館に行くときには鉛筆持参
銀座線の車内中吊りに吊られていても、古いと思わないだろうな。もし、よくある表現だったとしたら感動しすぎなのかもしれないが、とにかく素晴らしい。

遊郭ののれんのイメージだろうか、薄く透けた布があちらこちらで空間を隔てている

地下2階の展示に猥雑な雰囲気などはもちろんなく、極めて一般的な企画展といった様相だった。何より、蔦屋重三郎のおかげで、前半からかなりの数の資料に圧倒される。

狐舞の人形などのメモ

他方で、もう一つのフロアの展示(第三部)については、これもまた賛否両論あろう(というよりは否定的な意見を見かけることが多かった)。確かに、あたかも花街遊郭のような演出となっており、スタッフの皆さんは法被を着ている。果たして、彼ら彼女らに「遊郭の呼び込みのような見た目をとらせる」ことがよいことか、そうしないといけない展示なのかというと、趣味がよくないと言われても仕方のない部分があるだろう。そうしないと、吉原の文化について鑑賞する目的は果たされないか? 企画展全体の趣旨から言うと、これを肯定することは難しいと感じる。

やはり豊富な資料のおかげで私は結局楽しんで過ごした。大店の店主(という呼び名じゃなかった気もするが)のユーモラスな浮世絵は、それをも受容する「気前のいい商人」を喧伝するためではないと、言い切れないが……。

さまざまに翻弄された展示の骨組みである資料と、その背後にあった吉原の人々の実存を思うに、アーカイブということの功罪をつい考えてしまう。

小学校低学年の子供と中学受験と

塾に通わせてから、かれこれ5ヶ月が経過している。月に3回程度、算数と国語あわせて90分の授業があり、月に1回、理科と社会あわせて90分の授業がある。基本的なスタイルは下記の記事からあまり変わっていない。

unir.hateblo.jp

途中、彼女の入院があったり私が声掛け出来ていなかったりで算数のプリントの復習が滞っているので、タイミングがあればそれをやってもらっているくらい。

小学校低学年の偏差値に意味があるのか問題

意味とはなにか、をすり合わせない限り、この問題について考えることはできない。

試験結果(偏差値)をもって子供を指導する意味

これは端的にないといえる。そもそも試験結果が「悪い」場合に特別に指導すべきなのかというと、塾で行われる試験に限って言えば私はこれを疑問視している。

偏差値が下がったから叱るだとか、点数が悪いから叱るだとか、そういうことをしてもメリットはないし、予想されるデメリットのほうが上回る。普段の取り組みからさほど逸脱しない試験結果が出るわけであり、見直すべきは普段の取り組みにほかならないのだ。試験結果だけが異様になるのであれば、それはそれでその試験は当てにならない。

つまり、試験結果をもって指導する意味は基本的にはない。普段の取り組みに対するフィードバックであって、子供に対するコミュニケーションの直接の要因になってはならないのだ。

集団内での立ち位置(偏差値)を受け止める意味

これはないとは言えないが、深刻に不安視して子供の能力を過小評価することも、またその逆も必要がないというところだろう。ちょっとした一喜一憂くらいしてもいいだろうが、何かの意思決定として偏差値を用いるには、小学校低学年のそれはあまりに心もとない。

前回の試験からの「偏差値の」推移もあまり当てにならない。意思決定に用いる材料として重要になるのは小学校5年生くらいからだと考えておくのが妥当であり、子供の能力評価として用いるにはそれまでの偏差値は脆弱である。

恐らく今後5年くらいは、カリキュラム的には小3の2月、「新小4」から中学受験の塾に通い出すのが、あくまでメジャーなパターンだと思う。となると、母集団の数としての担保が取れるのは新小4に入ってからであり、母集団の質として一定評価に値するのが新小5以降だと推測している。

新小4で入塾する子供と、それまでの間に塾に通っていて「慣れている」子供の慣れの差は1年以内に大体埋まるだろう。子供に対してボリュゾだなんだとラベルを貼ってしかるべき権利など誰にもないと思うが、一定、受験集団における子供の立ち位置として偏差値をまともに受け止められるのがそれくらいの時期である。

もちろん例外はある。小5以降も、周囲より成績の伸び幅が大きい取り組みをする子供もいるし、逆も然り。最終的には、極論を言えば、偏差値だけをもって志望校を決めることなどできないのだ。前日まで伸び続ける(し、落ち続けることもある)。

まぁそんな極論に至らなくても、小学校低学年の子供の偏差値で何らかの意思決定をするだとか、子供に対してラベリングをするだとか、そういうことには意味がない。

小学校低学年から中学受験塾に通塾する意味があるのか問題

ここでいう意味は、「中学の入学試験において有利になるのか」という意味と仮定するが、そういう点で、意味はないと言って差し支えないと思う。小学校1年から塾に通おうが、小学校4年生から塾に通おうが(あるいは、5年、6年でも)、中学の入学試験において有利になると言えない。直接的にも間接的にも意味はない。ゆえに、志望校合格の確度を高めるために早期通塾をしようというのは無駄だ。

では私は何のために通わせているのかというと、私の娘について言えば明らかに周りより勉強が得意だからだ。国語や算数の全てが得意とは言わない。

ただ、走るのが速い子供がいればスポーツをやらせるように、ピアノのうまい子供がいればピアノ教室に熱心に通わせるように、彼女は勉強が得意だからその習い事をさせたいと思った、それだけだ。いわゆる最難関校へのあこがれがないといえば全くの嘘になるが、それでも、彼女が6年間を夢見る学校があれば、基本的にはそれに合わせたいと思う。結局のところ私立や国立の中学校に興味がないという話になれば、(もったいない!とは思うが)受験しないということもあるだろう。

偏差値を高くすることには関心がない。偏差値が高くなってたら、内心ほくそ笑むが、それ以外のなんでもない。ジュニアコンクールで全国2位だったからといって、国際的なピアニストになれる保証などない、その程度のものであり、そういう意味で、試験の結果がよければ喜ぶし、一定当てにしない気持ちもある。

ちなみに、習い事としての中学受験塾は結構良くて、彼女に知識(概念のかたまり)が増えてきたのでいろんなことを教えやすくなった。先取り学習の意図はないが、割合の概念などを伝えつつ、ニュースで出てきたグラフの意味を話したり出来るのは私は嬉しい。

あとは、学習面の方向性は塾に委ねつつ、他のことのプランニングに考えるリソースが割けるのも嬉しい。どこかの時点で、受験をする意志がある限りは時間を勉強にスイッチしていかないといけないとは分かっているが、新小5くらいからでいいかなと思っている。一定程度の伸びしろを残しておかないと、受験はつらい。ずっと右肩上がりなんて実現できなくても、そう設定しておく仕組みは大人が整えておいたほうが言いだろう。

小学校低学年の偏差値に糠喜び日記

小学生の子の成績が単に上がっている(実力がついている)という見方もできなくないものの、母集団の水準の一番高かったのは初回であり、中学受験塾にコンタクトを取る人が時を経て少しずつ増えた結果、相対的に小学生の子の偏差値があがっている、という側面も割と無視できないのだろう。この調子で行くと、おそらく小3の夏まではゆるやかに偏差値自体は漸増するのではないかと思う(2024-01-27 - sixtyseventh.diary

上記で予想した通り、偏差値自体は漸増しており、先日の実力テストではある教科の順位が全国一桁台にまで上がった(すごい!)。他方で、もう一方の教科も成績が伸びていながら、まだそんなにやりこんでいないという状況にあるので、集団内立ち位置がさらに上がる見込みは出来なくもない。ただ、やりこませる気力が私になければ、やりこむ動機が彼女にあるのかも分からないので、とりあえず塾に通っている分の力はしっかりついているんだな、と安心する材料にする程度である。

全国の小学校でやっているらしい標準学力調査というテスト(?)も国語・算数満点をとってきた。こちらは、実力テスト以上に嬉しい。何より、課せられていて、取り組まなければならないのは小学校での学習だ。塾や何かの模試の成績が何であろうと小言を言ったことはないが、小学校の漢字でひどい点数を取ってきたときには叱った。宿題で普段書いている漢字を、なぜこの小テストで書かなかったのか。友達と喋っていて時間がなくなったといっていたが、真相は謎だ。特段の事情がない限り、小テストであっても真剣に取り組まないことは私は許さない、ということである。小学校の通信簿評価を高める必要はないが、点数の出るものに対して、出来ることをやらないというのは許されないと考えている。

後藤貞行《馬》1893

さて、もうすぐ夏期講習だ。グノーブルはすごいので、小2でも8日間の夏期講習がある。送迎……。なんとか、「どちらかといえば楽しかった」という雰囲気で終わらせられるように、私もがんばりたい。