連日、恋の話を読んだ。恋の話を読むのはどちらかというと苦手なもので、(多分)人に比べて非常に緊張しながら読んでしまうからなのである。せっかく出会った人々の、その関係性をこんなに魅力的に描いているのに、この関係性がふとちぎれたリボンの先のように消えてしまうこともありえるのだ。せめて、空想の世界くらい、この人々の小さく壮大な関係性が永続するような嘘を私について欲しい。でも、そうなるとは限らない、と経験から知っている。甘やかな、誠実な、煌めいた、その関係性が消える物語だってたくさんある。私はそれを読むたび(見るたび)、悲しくなる。悲恋、ではなく、関係性が消えることに、まるであかあかと燃える夕日が落ちていくみたいな悲しみを感じるのである。(逆に言うと、さほど魅力的でない作品であれば、関係性が立ち消えようがなんだろうが、一切気にならない。)
そういえば、来年で、夫と付き合いはじめてから15年経つし、結婚して10年経つ。子育ては来年の暮れごろに10年目を迎える。私の恋は今もまだ続いていて、これからもずっと続いて欲しいと当たり前のように、無色透明で千切れない願いを抱いている。恋は成就し続けている。成就しなかった恋、成就したのに立ち消えた恋からずっと遠いところに来ているように思う。どんなに素晴らしい関係であっても立ち消えること、そういう作品を読んだり見たりすることは、私の続いている恋さえどうなってしまうのかわからないのかもしれないと、冷水を浴びるようで恐ろしい。来年、再来年、20年後、30年後、ずっと先にも、夫と生きていることを考えているがそれがどれくらい当然のことか分からない、と感じてしまう。例えば、自然災害に備えて備蓄品をそろえたり、避難経路を確認したりすることは出来るのに、夫と生きていることが終わることに備えて一体何が出来るのだろう、と考えるととても難しい。乾パンを買っても、核シェルターを準備しても、もしかしたら急に、夫と過ごす生活が途切れることがあるのかもしれない。そういうことをだらだら思い至るきっかけになるような物語はなるべく遠くにあってほしい。
これらの作品で、彼らはどうなるか、というのはお楽しみにしつつ、緊張しながら急くような、でもひとすじひとすじ読み切りたいような、そういういい作品だったと皆様にお知らせでした。