sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-08-14 素裸でギターかきむしる

朝から家のことをテキパキやった。これは珍しい。割と夫任せのところは多く(申し訳ない)、ダラダラしてしまうのだが、今日はうまくいった。資源回収の古紙類だけ、回収がやたら早く、一部出せなかったのが悔しい。棚や引き出し、折りコンを買った段ボールはなんとか間に合った。

赤子や娘と時間を過ごしたり、Switchで電車ゲームをやったりして午前を過ごす。読みさしの本を読む。昼はカレーを食べる。

娘が祖母に会いたいと言い、夫と子供らが日暮里へ。帰省にあたるのかは不明。日暮里の家はもうワクチン接種が済み、しばらく経っていることだろう。大人がいっぱいいても、という大義を持ち出し家に残って掃除をし、大規模な昼寝。決して嫌いではないが、夫の実家で過ごす時間はやや緊張する。友人の家でも心から寛げはしないのだから、まあそんなものだろう。自宅に勝る寛ぎはない。

子供らが帰ってきて夕飯。読みさしの本を読み終え、新しい本も読み終える。いかんせん積読が酷い。書店で何も考えずに買うのが良くない、多少なりとも読書を進めていきたい。本を整頓せずに積んでおくのはややストレスなのだ。積まずに棚に整頓してもいいのだけれど、そんな快適な状態にしたら読みっぱぐれると思う。

中国の経済環境は実は未だによく分かってない。上場、という概念も謎ではあるが(国有企業だけだと思っていた)、多分日本にはないハングリー精神的なものはいいなと思う。隣の芝ほど青いものはない。

ベールに包まれている憧れの存在。究極の思考、は言い過ぎだと感じるが、どうやるか、ではなく、何をやるかみたいなところは意識する人がもっと増えてもいいと思う。私の見ている範囲の社会では、どうやるかが洗練されているビジパは評価されやすく、何をやるかに執心してもそもそも評価するべきかどうか分からないケースが多い。私は何かをしたい、どうやるかのプロフェッショナルでありたいわけではない。改善を積み重ねたKPIよりもずっと、何を創り出したかを語れるキャリアでありたい。そんなこと考えてるから一向に評価されないわけだが。私が私だからできる生き様にしか、結局のところ関心がない。

子供が寝てから自室で封筒のファイリングと整頓。ちゃんとファイルに保管しているのが自治体A4サイズ未満のもので500種類以上あって、まだ保管していないのは200弱くらいだろうか。更にA4以上等々考慮すると、保有しているのは800種近くあるかもしれない。もっとちゃんと蒐集していきたいが、そろそろ対外的に封筒蒐集家として誇っていけるような気はしてきた。47都道府県はなんとかクリアしていきたい。実はまだ達成していないと思う。47都道府県、1,000種類となるとかなり分かりやすいのではないか。

TBSラジオを聞いていたら、ラジオの投稿をLINEからも出来るらしく、驚いた。中高生リスナーの多い番組だとLINEも使えるのかな。

雨が強まっていく。盆休みだからか、近所がここ最近静かな夜。