sixtyseventh.diary

とりとめはない

2022-05-20 22/33

相変わらず眠気が続くが生きている。『イラストレーション』を読んで、「ザ・チョイス」の締切が直接搬入であれば来週月曜日=間に合う、ということに気がついた。選ばれるかはわからないが、コンペなどを一つの区切りにして制作していくのはいいことだと思う。

湯島の阿吽で担々麺を食べ、御茶ノ水まで歩いてレモン画翠へ。ホワイト・ワトソン等を購入し、また歩いて帰る。なかなかいい運動。どんな絵を描こうか、クロッキー帳にエスキース。あれこれしているうちに、Sアトリエの時間が近づいているので銀座へ。

Sアトリエはワークショップ。線を楽しむというテーマでエンジョイした。私の中で、「水ににじむ」みたいな技法が結構面白く、制作でも取り入れたいとしみじみ感じる。

日中、そういえば、私あんまりイライラ怒っていないな、ということに気づく。昨日、娘にいちいち怒るのやめよう、と思いついたのもあるが、こんなにうまくいったことはいままでなかった。インチュニブの効果ではないか? と思い当たる。娘が気になることをしても、いちいち声を荒げるほどじゃないし淡々と指摘するorスルーする、ということが出来ており、そのなんというか、いちいち声を荒げるほどじゃないしというクッションが認知→行動において明確に挟まったのである。これはすごい! と感動するとともに、これから毎月9千円近く支払わないと、精神医学的な「定型」にはならないのか、と絶望もした。ADHDの衝動性がこんなに自分を困らせていたことは知らなかった。今まで、色々、アンガーマネジメントについて考えたり、カウンセリングを受けたりしたけれど、科学のちからってすごいのである。というか、本当に「できない」んだな。苛立つ→行動、と直結していたんだな。これ、頑張れば治せるとかじゃないですよ。薬もらわないとどうしようもない。カウンセリングで認知を矯正していく道筋もわかるけど、だれでも忍耐強く認知矯正やっていけるわけないんですよ、衝動的な人間が……。感動と、あぁ自分って思った以上に欠陥品だったのか、そりゃあ大変だよ、生活、という憐憫で複雑な気持ちだが、子どもに怒らない自分は割とマシなので、服薬は続ける。