sixtyseventh.diary

とりとめはない

2024-02-29

異様に眠い。これまたたまに見る夢──本当は、間違えてなければ、私たちになれたのではないか──を見たので少し感傷的な朝である。それにしても眠い。

家の前の掃除。枝葉はともかく吸い殻とか食べ物のガラとか捨てられるとムカつく。人んちの前にタバコをポイ捨てするなと。

会社、というのは本当は適切でない呼び方で、庁に貸与品をもろもろ返しに行く。これで何も恐れることはない。東博にでも行こうかと思っていたが、なんとお花をいただいてしまったので、このあとの予定を考えながら歩く。

産まない自由もあるだろうし、その権利の主張を積極的に妨げる気もないが、それは社会の今後、未来に対するかなり積極的な簒奪でもありうると思っている。社会の成員が増えないとき、つまり、命あるものが順番に死に、社会が縮小していくとき、現存するシステムの維持は到底できず、適応を望むこともあまり堅実な考え方でないため、社会自体を維持しない(しえない)ということがあるわけで、それをミクロの権利の問題に帰趨することは適切ではないはずだ。リプロダクティブ・ライツとしての産まない選択は、あるいは反出生主義よりたちが悪いと、私は思っており、個々人の生き方を重要視するゆえにアナーキズムに隣接することをどう考えているのかとんと分からないし、個人的な感情として言わせてもらえば、選択の結果として産まないこと、育てないことを選んだ人が私の子供たちの納める税金の恩恵を受けることに無視できない腹立たしさを感じる。社会そのものの維持を廃する目的の、産まない自由であれば、それは個人の権利のような涼しい顔をするのは卑怯ではないか? 産み育てているやつの遠吠えだと思われたくないからあまり大通りで言いたくないが、しかし、そんなカジュアルに選択されるべき自由なのか、何度だって、選択した人間には考えてもらいたい。産まない自由という権利は、服装や髪型の自由とは全く異なる次元だ。

なお、改めていうべきことでもないが、産めない・育てられないという出来るかどうかに関する状態については上記と全く切り離して捉えており、一般論として子育てして一人前だとかそんなことはつゆとも思っていない。産まず、育てないことを、個人の自由の権利であるとカジュアルに(私にはカジュアルに見えるときがたびたびある)受け止め、それを選び取ることについて、善とみなしがたい、ということを言っている。あるいは、産めない・育てないを、「産まない自由」という権利で粉飾して言いふらすことも違うだろう。個人の思いとして留めるのは自由だが、その権利の推進の先に待つものは何かと考えると、渋い顔のひとつもしますよ。

つまり、言いたいこととしては、産まない自由について選択することまで侵害するつもりは一切ないし、産まないならそれはそれで一人(またはパートナー等含む)の人生としてよいのではないかという前提があるうえで、産まない自由の権利を他の人にまで拡張しようとするのは社会の成立を将来的に不安定にする行為なのだが、それは議論されるべきことではないかということである。フェミニズムの一環としての「産まない」実践などは、社会が今後も(とりあえず次世代くらいまでは)維持されるだろうという暗黙の約束を、合意なく反故にしていくものではないか。

逆に、産まないと結婚の意味がないだとか、一人前じゃないだとか、そういうことを言いたいわけではない。個々人の人格的問題ではなく、社会の成員を増やさない(それを、個人の責として一切負わない)ことが一種の運動・デモンストレーションになることについて言っている。そして、社会の成員を維持することを積極的に、擁護すべき権利として放棄する個人がいるのであれば、まぁ個人としてはフリーライドだなぁと考えている、そういう話である。結婚する前から、社会のために子どもを産むか、産まれなければ一対一で誰かを育てる選択肢をとるかどちらかだと真剣に考えている個人なので。

文雄、肝すわってそうなので応援してる。しかし野田佳彦のやり方はやはりうまい。在任中は政治資金パーティーをする考えはないとまで言わせた。多分、そこまで確かに決めてなかったんでないかな、と質疑応答で感じていたのだが。他の議員の質疑が霞んでしまった。

一ヶ月まるまる寝かせてた、前塾の解約電話した。もう一ヶ月前には意思決定してたのだが、入試のど真ん中で連絡するのはなんだか、と気が引けてズルズル先延ばしにしていたのだ。ごめんなさい……。

隙間に作業としてツールなりシステムなりの対応をつめこむとそのシステムやツールを活かした仕掛け自体は伸びないよねって話を考えていたが、わざわざ書くのも面倒くさい。

夜、夫不在の為ひとりで家の事もろもろ取り組む。やろうと決めていたことはだいたい出来たので満足。月末はカレンダーの更新など、あれこれやりたいことが多くてかなわん。ひとりで家の事をまかなうのはそこまで嫌いでなく、自分のマネジメントで物事を動かしきれるのは悪くない。私は料理が嫌いだから夕飯が質素になるし、自分の時間がほとんどなくなるのも嬉しくないんだけれど。魔改造の夜を見たかったのに、結局風呂入れたりするのが忙しくてじっくり見られなかったわね。残念。

いつもより30分程度早く子供らを布団に移動させ、寝付いた様子なのでこれからシャワーを浴びて、明日に備える。明日はいよいよ初日、やりたくない失敗──コミュニケーションの選択肢を間違う──をしないようにしたいな……。仕事の失敗は気にならないけれど、自分の性格(?)故の、奇妙な振る舞いでネガティブな効果をもたらしたことに気づくと、もう相当辛くなるんですよね、これでも。やや親しくなってから、つまり、一対一で会うようになるとか、会うのが二度目以降とか、そういうときに私があまり喋らないのは、選択肢を間違うのが怖くて、とにかくコミュニケーションのフレームを設定するのが人より相当下手なので、フレーム問題を起こしてしまっている場合ですね。選択肢を間違うのが怖くない(十分に親しいか、これ以上親しくなる必要がなくどう思われてもいいか)場合はずっと喋っているかもしれませんけどね。