sixtyseventh.diary

とりとめはない

2024-02-28(「マリー・ローランサン ―時代をうつす眼」)

モコモコがない。昨日日中になくしたらしい。坊やは悲しむし、どこでどうなくなったかいまいち見当もつかない。

とりあえず昨日自転車で通った道を確認するが、見たところモコモコがガードレールに留置されてる様子もない。昨日は中央通りのあたりもゴミ収集日ではなかったはずなので、捨てられてはなかろうが。上野公園の交番で遺失届を出した。警視庁の現時点でのデータベースにはひっかからず……。とほほ。

八重洲通りから。

アーティゾン美術館。明治・大正期の日本人画家の絵ってなんか緑っぽくないか? と急に気になってきた。中高の美術教員(高齢)が油画の描き方をはじめに授業したとき、緑で下絵を描くといいと言っていた気がするが、黄土色だったか。いずれにしても、色調に一定の似通いがあるように感じた。石橋コレクションだけの話かもしれないが。

マリー・ローランサン ―時代をうつす眼」

マリー・ローランサンは、フェミニズムだとかリアリズムだとかとさほど関係ない作風をとことん描いていて、なんかよかった。水彩画の鉛筆の筆跡が気になって、下描きなのか、下描きではない線なのか、下描きだとしたらなぜそのまま残すのか、技法を知らない私にとっては謎が多い。彼女の描いたピカソの肖像では頭を一回り小さく描き直したかのような筆跡があったし(その割にはあまりに明確なので、そうじゃないのかもしれないが)、なんだろう、そのあたりをキレイに仕上げることは、もはやどちらでもよいことだったのだろうか。

『女と犬』

鉛筆の線、これは透けた感じを表すために意図的に描かれているのかな?

ではこの犬の後ろ足のあたりの線は一体……?

『田園の祭典』。そんな細かな線のことは、この祭典において何の問題もないのかもしれない。

世界の辛苦とはまた異なる場所の、美と善があるように感じ、却って好ましく思った。椿姫の挿絵をセットにしてお土産にしてくれたら良かったのだけれどな。

パウル・クレー《双子》

クリスチャン・ダニエル・ラウホ 《勝利の女神

はさみみといっしょ

京橋

GUでYUIの昔の曲、cherryだっけ、が流れていることに気づく。クラクラする。結局坊やにちょうどいいズボンを買えず、ユニクロで買った。

昼飯を食べすぎた気がする。眠くなって落書きしながら昼寝。

ヤエチカをこんな格好で歩いていた

小学生の歯科。乳歯が生えている後ろに永久歯が随分出てきてしまっていたことに気づいたので慌てて連れてきたのである。抜いてもらった乳歯を見たら、歯の根が歯そのものの2倍近い長さ残っており、これは勝手には抜けないわ、という感じ。めちゃくちゃ泣き叫んでいて他の患者さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。局所麻酔が怖かったらしい。病院を出るとケロリとしており、もー勘弁してくれよーと思ってしまった。