sixtyseventh.diary

とりとめはない

2019-07-08

朝起きてから体調がとっても悪かったが最低限のことはしたと思う。

たのしいうちあわせ? が出来た

人からどう思われるかということを考え出すと何もできなくなってしまうので,どう思われても構わない服を自分の心に着せている。違和感を覚えることなく共感出来て,そういうことに飢えていたので,良い気分になった。頑張ろうという気持ちになった。

前の職場の先輩と遭遇した

自宅から上野駅まで歩くときにどうしても前の職場のそばを通る。駅構内や近く,いろんなところで職場の人と会う。今日はとても久しぶりに先輩を見たので元気に手を振ってちょっと立ち話。対人スイッチが入ってよかった。「N年目の主任として公用車を運転するという重要な任務をこなした」という面白い話を聞いた。人とは仲良くしていることが多い(未だに,上司はちょっとね,だが)。

某社の面接を受けて少し違和感があった

前の面談は結構印象がよかったのだが,私がやや自嘲的に「意図せず流行りに乗ってしまったがこんなことに興味がある」という話をしたら「バズワード」でまとめられたり(私は,バスワードという捉えられ方はマイナスの捉えられ方だなという印象を受けた),議論をする上で極論を例に出されたりしたので,ううむ,と思いながら帰った。

肩書に拘るのではなく,内容にこだわった議論をしたい,という話をしているところで,オシム監督がサッカー采配を語るのとサッカーファンが語るのだとしても肩書にこだわらないといいたいのか? と言うようなことを聞かれた。普通に考えてそういう話じゃないと思ったんだが……。

そういう意図ではなく,鶴の一声的なものに人々の意見が振り回されることに私は疲弊するし違和感を覚えるだろう。変化はつきものだろうが,その一声が鶴だから現場に浸透させないといけないのか,一声の決定プロセスに一貫性はあるのか,そういうことであると拙い言葉で訂正したが,あんまり理解してもらえなかった。これは私の説明能力が低かったのも悪いが。偽善的に「誰が言った意見も平等に扱いたい」という話をしたいわけではないのだが(そこまであほじゃないつもり),私のことはあほだと思われていたのかもしれない。ウーン。なんか,極論に参って何と言えばいいのやらという顔をしていたら「はい論破」感を出された気がしてしまった。これは私の被害妄想か。

こういう「ウーン」って結構のちのち引き摺ることになってあとから「やっぱりな」と思ったりするのと,面接の場でその場にいない社員を(悪意はないだろうが)揶揄するような持ち出し方をしていた(そして私はその人を知らない)のもやっぱりウーンという感じであった。

角印が届いた

個人事業の屋号の角印が届いた。まだ開けていない。開けよう。セブン-イレブンで開業届を印刷するつもりだったが失敗しているので明日再挑戦したい。