sixtyseventh.diary

とりとめはない

2019-10-21 子どもが強めに噛まれた日記

今年3歳になる子どもが保育園で子どもに噛まれた。

これを読むなんかしらの親御さんに向けて書けば,子どもの噛む・噛まれるは事故だと思っているし,噛むような子どもを育てる家庭はうんぬんかんぬんという気持ちなんてさらさらない。

自分の子どもが他の子どもを噛む,ということ

一年以上前,自分の子どもが他の子どもを噛んだか噛むふりをしたか,ということで保育士さんから報告を受けたことがある。「ついに来たか」というのが率直な感想だった。

私自身,記憶のある限り(幼稚園入園前後から)でいえば,いじめられたこともいじめたこともあるし,後者の記憶も強い。自分の子どもも,他の子どもを育ててはないが,意思が強く我も強い部分があると本当に小さいときから感じていた。そのため,0歳児で保育園へ預けるときに「いつか自分の子どもが他の子どもに危害を加えるかもしれない」ということをうっすら考えてはいた。

通わせている保育園は,{誰を/誰に}{噛んだ/噛まれた}ということは報告しない園だ。噛んだときに「これはいけない,うちのしつけが不足していたのだ」という思いに苛まれたので,誰を,なんて報告をされたら親御さんに顔向けできなかったかもしれない。私は心が弱い。小心者なのだ。また噛もうとすることがないように,1歳の子どもに「がぶーはいけない」「いたいとかなしい」「おともだちがあそんでくれなくなる」と伝えた。話もろくにわからないような子どもに。

数ヶ月後の担任の保育士さんとの面談で,真っ先に話したのも,「うちの子に噛み癖はないでしょうか? 家でも聞かせていますが,もし園で他の子に危害を加えるようなことがあれば,どうか叱ってください」というようなことだった。「子ども」が「自分」と分離出来ていないからこそ,「自分の子ども」の粗相に対して過剰に焦っているのかもしれない。今だってそうかもしれない。ただ,どうしても恐ろしかったのだ。自分の子どもの凶暴性が強いという可能性が。

自分の子どもが他の子どもに噛まれる,ということ

それから1年以上,上記の一度の報告以来,自分の子どもが他の子どもを噛んだという話は聞かなかった。すっかり忘れていた。

迎えに行くと,いつもの教室に自分の子どもがおらず,先生同士が小さな声をやりとりし,「P(自分の子ども)はX先生と一緒にいる」という報告。なんだか嫌な予感はする。Pは,めったにイレギュラーなことを起こさない。発熱の呼び出しのような。

X先生に抱かれたPは泣いていた。単に,思い通りに遊べなかった不満が9割以上を占めていただろうとは思う。Pの腕には青タンが出来ていて,「お友だちが噛んでしまった,目を離したすきのことだった,本当に申し訳ない」と先生に謝られた。

謝ってもらうようなことでもないので,その事故についてとやかくいうつもりはない。それは本当。先生が四六時中自分の子どもだけを見ているなんて土台無理な話。

ただ,あんまりにPが泣いていることと,痛々しい青タンに心は痛めた。完全な事故だとしても,少なくともPは被害者だ。加害者はいない,いないようなものだ。だとしても,Pは被害者だ。

トラブルの当事者の名前を明かさない,ということ

親同士の軋轢を避けてか,通わせている保育園では名前を言わないが,もうすぐ3歳になるPは,誰が噛んだという話をする。ただし,幼児のいうことがどこまで本当なのか分からない,鵜呑みに出来ない。

噛んだ方には,誰を噛んだかを言わなくてもいいと思っている。おそらく,自分の子どもが「よその家の子ども」を噛んでしまったという事実だけで,親は辛い(そしてそのことは報告していると思う)。誰か分かれば,送り迎えのときに心のしこりが残るかもしれない。

ただ,ある年齢を超えた場合,噛まれた方にはどの子どもだったか言ってもいいのかもしれない。親御さんの教育のせいでもなんでもない,ただの事故とはいえ,3歳間近ともなれば子どもは何かを証言する。それが本当かどうか分からないけれど,Zちゃんが噛んだという話を聞けば,親はどこかでZちゃんなのか……と思ってしまう。Zちゃんだったとしても,そうでないとしても,親御さんには(3歳前後では)特に不備はないと思う。ただ,Zちゃんじゃなかったとしても,私はずっと「Pを噛んだZちゃん」と内心思ってしまうのだろう。

内心思うのなら言わない方がいいのかもしれない。でも,それが冤罪だとしても? と思うと,私は本当のことを知りたいと思ってしまう。それでもって親御さんなりお子さんなりに変な対応をする気はないが。

Pが痛い思いをしているやるせなさをどうしようもなくて,こんなことを考えているのかもしれない。家に帰る頃には気丈に振る舞っていたが,友だちに噛まれることはショックだったんじゃないだろうか。などなど,その事故について思いを馳せるに,心苦しいのであった。