sixtyseventh.diary

とりとめはない

盆と正月は一緒に来ないし一緒に来る/2019.8.15 3776ワンマン@WWW

こんにちは。主な趣味は官公庁封筒集め、主な仕事はスタートアップのバックオフィスのしおと申します。

「盆と正月が一緒に来るよ!~歳時記・完結編~」が2019年8月15日に行われた感想をこちらに記しておこうというのが今回のテーマです。盆と正月が一緒に来たような、というよく聞く「形容詞」に限らなかった今回のワンマンについて、こんな風に思った人が右東京にいたと思っていただければ幸い。とはいえどう書き残すのがベターかわからないので、なるべくミニマムに書ければ、と思います。

結論からいうと、8月15日から始まり、8月15日で終わる「一年」に「我々」は沸き、翻弄され、狼狽し、やけになったのではないか、というようなライブでした。

そもそもの話をすると、私はこの一年くらいの3776しか知りません。『3776を聴かない理由があるとすれば』というアルバムの再現ライブがあるというので、かねてから気になっていたこのアイドルのアルバムを聞き、うちのめされながら、ライブにいってよりボコボコにされたのが2018年夏の話でした。それまで知っていた・追っていたアイドルを完全に覆す存在となった3776を追うこととなったのです。

対バン(?)やディナーショウ(!)を含め様々な現場に行っても、3776については理解しようとするのがおこがましいという結論にいたります。その場でどう自分が楽しめるか、それに尽きるという気持ちは結局変わりません。

さて、今回のワンマンはいままでリリースされていた歳時記の完結編です。始まりのそのときを知らない歳時記ですが、ライブでも盛り上がる「八十八夜」、初めて聞いたときに戦慄さえした「2037年のラブレター」等々、卓越した曲の多く含まれた作品群です。

『歳時記』のリリースもあり、今までの『歳時記』も反映されているライブですが、その場で録った干支が最後まで流される・事前に撮られたであろう日付が流される、等々、今までのコンセプトを踏襲しつつ、また一段変わったものとなりました。「八十八夜」で「一夜、二夜……」とカウントアップされるそれや、『3776を聴かない〜』で流れる「1,2,3,......3775,3776」とカウントアップされるそれに比すると、干支も暦も終わりのない数列群であるところに私は極めて強い関心をいだきました。

12個の要素で区切られる干支、(2月29日を含む)366の要素で区切られる日暦。周期性はあるが、終焉がないリズム。それは歳時記という前提で見ると一見艶やかですが、即興で録音され規則的に流れる素材と見るといささか機械的な印象を受けます。その機械的――または、私は「幾何学的」とさえ感じた聴覚刺激に対し、3776の井出ちよのは極めて有機的に・連続的にパフォーマンスを続けます。楽曲それぞれについてあえてここで触れることはしませんが、彼女のシソーラスが舞台上に体現している、とさえ感じました。バレエ的なダンスを含め、振付・ダンスには3776の(井出ちよのの)特質が間違いなく現れているのですが、それが見るたびに楽曲の緻密さ・巧緻さとうまく乖離しており、私の感覚をグラグラと揺さぶるのです。渋谷WWWのボールドな低音も相まって、自然、体を揺らさないと落ち着かないような心持ちでライブを楽しんでいました。

「アンコールはないです!」

この宣言は、3776で定番の宣言ではないと思っています。「歳時記・完結編」が本当は何を完結させたのか――ここからは、ただの野暮でもあり、ただの個人的な感覚でもあり、製作者の意図も表現者の意図もわかりませんが――アンコールがない、このライブのコンセプトこそが私にとって極めて興味深いものです。

このライブは、8月15日に行われました。あえて書くのは本当に野暮ですが、第二次世界大戦の終焉日。ライブの後ろで流れる井出ちよのの暦は8月15日から始まりました――そしてその時点で我々は知っていたのではないでしょうか、「8月15日をもって、このライブは終わる」と。私は、知っていました。そうなるかどうかはわからないけど、知っていました。

どんどん過ぎていく暦を少し認識しつつ、終わりの日に対して(あるいは終わらないかもしれない日に対して)私達はどう感じながら過ごしていたのでしょう。私は、少なからず、不安で怖かったような気がします。「本当は思ったとおりには終わらないかもしれない」。戦争が終わってほしいと願うのは当時では、非国民とされたのでしょうか。私は、8月15日で終わるライブを期待してしまっていたのです。ライブを楽しんでいたにも関わらず、2時間にも足りない、366日が過ぎた時点での終了を望んでいた。これは結構おかしな感覚だと思います。

ライブの内容で戦争を扱ったなんてことは一切なく、その余地も楽曲にはほぼないと言っても間違いではありませんですが、その日に、そういう演出があったことに、全く違う形の終戦追体験があったんじゃないだろうかというと浅薄にすぎるでしょうか。ただ、私はやはり二度目の8月15日できっかり終わったライブと、そこへの安堵感を感じなかったというと、嘘になるなと思っています。

「盆と正月が一緒に来るよ!」とは何だったのか。単に、歳時記の集大成が披露されたというだけではなく、形容としての賑やかさだけでなく――盆と正月が一緒に来うるこのライブの奇怪さを恐ろしく思った一夜だったのでした。

※初出:note