sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-02-18 春が忍び寄ってくる心地

保育園送りバーっとして高円寺に通勤してインターンの学生さまにあれこれ作業お願いしてミーティングして作業してミーティングして焼肉ライクに抜け出して一服してミーティングして作業して気づけば夕方保育園へ迎えに中央線ひとっとび、的な木曜日。

『木になった亜沙』読んだ、いつから積んでたかな……と思いつつ読んだ。普通の、日本の家の食卓にお邪魔して、白米を口に入れて噛んだらジャリッとする、少しだけ砂が混ざってる、的な不気味な作品たちでした。ヒャーこわっこわっこわっ! となりながら読んでいた。こわいんだよなあ、唐突に身体性に違和感を挿し込まれるというか……こわいこわい。癖になる。

今日は久々に調理でなく料理したように思う、ぶた野菜みそ炒め、なかなか。

全然関係ないんだけど、Twitterに書こうと思って長くなりそうだからやめたんだけど、子育ては強くてニューゲームの人生ではない気がする。子供の人生は、がより正確か。子供にとって100%の環境を用意するために自分の原始的な感情や欲求を限りなく0%に減らしていくのは、それはまるで素晴らしいことのようだけど、子供の人生は私の人生のニューゲームではないんだよなと。私の人生や私の感覚まで全部、なかったことにしてやっていくのは難しくて、なので、たいへん耳障りのいい育児の話なんかは聞いていて追いつけそうにない境地だなと思う。急かすこともあるし、叱るときもあるし、うまく褒められない瞬間もある。全部私の感情のせいとはいえ、それをすべて抑えて発現させないとが大人と言われるのであれば、大人じゃなくていいや。子供の自尊心やなんというか、感情をいたずらに傷つけることはしないよ。

悲しいときは半分で、嬉しいときは2乗くらいで、そんなことを思ってこの夜を代わりに抱きしめることにする。