sixtyseventh.diary

とりとめはない

会社のSlackの分報をやめた話

私は今では名ばかり管理部長であり、広報担当である。名ばかり管理部長なので管理部長をめちゃリクルートしているのだが、メイドカフェ大好きで根暗な人格が勧誘してもマーケットに求められなそうなのでそれは一旦置いておく。

さて、随分前、3ヶ月ほど前に会社の私の分報を閉じた。色んな理由がある。辛いな、となっても分報では救われない。承認欲求は満たされない。つかTwitterにでも書けばよくね、みたいなこともある。Twitterに書けないことを分報でやる意義が、気が滅入ってるときにはわからん。そんなところ。

で、今。

同僚にしたい雑談はある。私はほとんどリモートワークなのでなかなか雑談が出来ない。なのでたまに人の分報に乱入する。

しかし、私自身の分報は、トータルで見て閉じてよかったと思っている。

伝えたいことは伝えようと努めないとならず、分報で伝わると思ってしまうのは甘えだ。伝えないとならないことではないことを、なんとなく垂れ流したって誰にも伝わりはしない。Twitterでfavを待つほうがまだ健全なように思う。

多分、私の性格上(とーっても承認欲求が強い)、もう会社のSlackで分報をやることはないと思う。しんどければ直接言うし、楽しければ直接フィードバックする。業務外であればTwitterか、メイドカフェで推しにウフウフする。その方が私にとっては健全な営みなんだなと分かった。

煙草部屋のコミュニケーションなんか煙草部屋でしか再現できないんだよな、と喫煙者はしみじみ思うわけでもある。分報はファジーなコミュニケーションの促進ツールとして完全ではない、と理解されたい、ともね。