sixtyseventh.diary

とりとめはない

周りじゃなくて自分がコミュニケーション能力不全だという可能性の話

いろんな切り口で書ける気がし、どう書いたもんかと悩んでいる間に3年くらい経ちそうなので、読みやすくまとめることは諦めて思いついたことを書く。

人生であんまり検討しなかったことの一つに、自分が発達障害である(あるいはその傾向が強い)ということがある。なぜなら、どう考えてもアウトプットとしての人生は一般的な尺度から見ると成功している方としか言えず、抱えている悩み(しばしば現れる希死念慮や、パニック障害や、急なやる気の喪失や、飽きっぽさ)は、結局のところ、いい大学とされる大学を出て伴侶もいて仕事もあって、という人生の結果から考えると、しょうもない悩みと断定されるようなものなんじゃないかと思っていた。

まあ、そう思っていた事自体がまるで間違いだったわけでもない。

ただ、とある機関で相談しているときに(契機は、自分が特別に優れているという思い込みを客観的に排除するために知能検査を受けて平凡な結果を得たいという要求にある)、発達障害とは診断しないが、その傾向がある、と言われて大変驚いたのである。しかもASDの傾向がある、と言われたのは一切考えていなかったので驚いた。

コミュニケーションが苦手、字義通り読み取る、というようなものが一般的なASDの特性だと思っていたので、いやいや、私はコミュニケーション苦手じゃないよ、人見知りもしないし、冗談も言えるしね。と検討リストから完全に除外していた。むしろ、私の周りはなんでこんなにコミュニケーションが下手なんだろう? と考えていた。どうして伝わりにくい言い方をするの? どうして曖昧なゴールを設定するの? どうして結論のない会話をしたがるの? 努力してまともなコミュニケーションくらいしてくれよ、と苛立ってすらいた。

それが、逆に、私がコミュニケーションに苦労しているからだとは一切考えていなかったというわけで、とはいえASDの傾向に思い当たるフシはある。まず、目的のない集団行動が辛い(頑張るので、人並みには出来る)。雑談が辛い(頑張るので、人並みには出来る)。予定変更と先の見えない予定が苦痛(頑張るので、臨機応変な対応はできる)。明確な目標の設定されていない業務依頼がストレス(なので明確な目標や水準を自分で設定するようにしている)。嫌なことにすぐ苛立って嫌だと言ってしまう(これは私に対して腹立ってる人もいるだろうなという気はする)。相手が結局何を言いたいのか分からない(が、言いたいことがないのかもしれないので保留)。

このうち、「頑張るので」を無視していたような気がしていて、目から鱗だったのである。そうか、謎の「私は何にでもめちゃくちゃ頑張って結果出してるのになぜ皆頑張らないの?」の、「めちゃくちゃ頑張って」は、なんというか定型発達でいてかつ人並み以上のアウトプットを出すための頑張りでしかなく、マイナス地点からめちゃ藻掻いてるから人より頑張って疲れている気がするのではないか。と、いう観点は今までなかったので、検討に値するというか、その、自分の苦手な行動をめちゃくちゃ頑張っているということで認識してみるのもひとつアリなのではないかと思ったのである。

一方、ASD傾向があるからという前提で考えてみても、結局、社会的に困っている一次障害は正直ほとんどない。めちゃくちゃ頑張ればなんとかなる程度なので、発達障害の診断がくだされることはないと思う。が、二次障害、ましになったり酷くなったりする鬱や、パニック障害みたいなものは、これはなかなか波があるので付き合い続ける必要はありそうだ。そして、付き合い方が深い人に対しては、理解してもらえるかは分からないけれどかなり頑張ってこの表面を保っているし、過剰な努力をあんまりやめる気もないので、時折電池が切れてしまう予定であり、誠に申し訳ないと謝ることは必要だろうと思う。

グループワークに参加することとかも気晴らしには良さそうだけれど、そこでもつるむつるまないみたいな話があったら非常にだるいし、つるめない自分というのは多少コンプレックスがある(つるもうとすると大体、余計なことを言ってしまう)ので、それをいちいち自覚したくはないのだよ。面倒くさいけど、寂しいな、って思うことはあるわけで。いや、でもめちゃくちゃ頑張らないと輪の中でのほほんとしている風を演出できないので、やっぱりつるめないままだろうな〜〜〜と、思うが。