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とりとめはない

劇場版少女歌劇レヴュースタァライトの話その2

ここからは劇場版少女歌劇レヴュースタァライトの話なのでネタバレを避けている人やレヴュースタァライトに関心がない人は読まないことをオススメします。

 

 


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はじめる。

さっきの記事も途中なのだが、大場ななという役回りについて。

結論から言うと、私は大場ななというあの役は終わっていない、再演が終わっていない可能性を残す。

塔から降りる、すなわち、舞台を遂げた上で降りることが今回の劇場版で多用されている演出で、ふたかおのレヴュー、まひかりのレヴュー、まやくろのレヴューでは確かに演者が、舞台少女がレヴュー中や終盤に落ちていた。ひかりについてはちょっと怪しく、落ちたひかりのところまで降りてきていたので落ちていたともみなせるし、落ちていない……塔からおりていないかもしれない。じゅんなななの狩りのレヴューにおいて、星見純那はあの丸いものから落ちていた。しかし大場ななは落ちていない。

再演についても、終わったとは断言しなかった。彼女は卒業後、舞台へ踏み出したと言い切れない進路にあり、ひかりに会っていない。エンドロールを見てほしい、彼女だけは電話で会話している。ひかりと華恋についても分からないが。

3回見て、大場ななの再演が終わったと断言しきれないと感じている。大場ななの再演と、愛城華恋(と神楽ひかり)のレヴュースタァライトは、交わるようで違う話、違う舞台だ。少なくともワイルドスクリーンバロック冒頭では再演が終わっていなかったことを示唆している、狩りのレヴューのあとの「再演が終わったかもしれない」という趣旨の大場ななのセリフがひっかかる。第100回聖翔祭が開かれることは必ずしも大場ななの再演が終了したことを示さないのか……ロンドロンドロンドでの語り手であることは、つまり? 何度目かわからない、神楽ひかりが転入してきたときのあのオーディションでトップスタァになっていないはずの大場ななは、どんな大切なものを失ったのか? 舞台少女としての……。

大場ななはふたつある、という可能性も考えている。彼女は二刀流を操る。劇場版では一本を星見純那に奪われ、取り返していない。二面性なのか、個別のなにかなのか、これはストーリーで明確な裏付けや裏付けと考えられることが今は見当たらないので考えすぎかもしれない。

ただ、大場ななの再演がどうなったのか、皆殺しのレヴューをひらいた大場ななは、あれはどの大場なななのか、やっぱり考えてしまう。

眩しいのは星見純那だけだったのか、あの子への執着だけを追い求めていたのか、そこに落とすにはどうにも腑に落ちない気がしていて、単に大場ななのことを格別に好きだからかもしれないが、3回見たけれどいまいちしっくりこない。大場ななが星見純那を見る理由、それは少し分かった気がしたのだけれど。