sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-07-19 変わらず夏の花のままでいて

朝から漫画を読み、お~~~これ面白い、すごいなぁと楽しむ。あれこれ考察は今回はしていない。メタ的であることよりも、もっとナラティブな漫画としてそのまま、私の感想をギュッとしていたいと思ったのだった。

この漫画のことではないが、メタ的な言及が増えたなと思っており、それはどうしてなんだろう。ただ、めっちゃよかったな、とかじゃ駄目なのか、と思う機会が増えた。なるべく、めっちゃ良かったな、私にはいまいちだったな、なんかムカつくな、いやわからん消化できん、みたいな素の感覚も大事にしていきたい。

朝は保育園の送りで汗を流す。仕事をする。メールの返信(苦手)や、原稿チェック、Tシャツデザインとオーダーのプロセス作り等々。

昼飯は阿吽。湯島に行く。白5-3。存分に汗を流す。今日は半ライスを控えておいて良かった。いや、食べたくはあるのだがいかんせん暑い。こんなに暑いのに担々麺の汁を飲み干し、米まで食ったら倒れてしまいそうだ。担々麺の汁を飲みながら、米に思いを馳せていた。悔しい。早く涼しくなってくれ。汁を飲み干し、外に出て、まあライスを控えたのは賢明な判断だったと自分を褒めた。

帰ってからまた仕事。

夕頃胃が少しだけ痛む気がしたが、阿吽で辛いもんを久々に食ったからかもしれない。もう治った。

ギフテッドの子育てについての本を読む。娘の知能は高いと思う、が、ギフテッドと診断できる機関が少ないこと、仮に該当したとして現状何にもできないこと、が気がかり。文科省では取り組みを始めるとか始めないとか。この国の公的教育にさして期待できないのが、私の良くないところでもある。

今なにか困っているのかと言われれば、強く困っていることはない。ただ、このままいくと、ひょっとしたら、彼女にとって小学校の学習はひどく退屈なものになりはしないか、教員から理不尽な教育を受けはしないか、ひどく恐れている。

仮に挫折に至らなくても、馬鹿な大人にされたことは忘れられない。小学生のときに、自分が、理不尽な目にあったと分かっているのに、娘が同じ目にあうことがあるのだとしたら、それは敗北に近しい。馬鹿な大人のことは、成人しても一切理解できない。知能レベルが違うのだ。そういうハズレありのガチャが怖い。ハズレだったときに何ができる、そもそも何かできる?

そんなわけで、今困りごとがないために診察のきっかけもつかめず、とはいえ困りごとが出てきやしないかとヤキモキしているのである。私がもし子供の頃の私に会えたなら、そいつやっぱり馬鹿だから本当に気にすんなよ、って言ってやりたい。

さて、信念なくお気持ちで進むこの安心安全で高い倫理観のある祭典には期待感しかない。どこの国も、政治とやらも、こんなもんなんだろうか。こんなに愚鈍なプロセスにさえも、包摂的であらねばならないのか。令和は難しい時代だ。