sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-09-02 いつかどこかで君と重なる その場所はある

9月だからなんなんだ。

さて、突発性難聴である。右耳の感音性難聴。低音障害型感音難聴ではないかとも思うが、私には聴覚検査の結果を正しく理解する力さえないのであんまりとやかく考えない。

8月30日月曜日の朝、起きたときから聞こえがおかしいと感じた。ウインナーの皮が厚くて噛み切れず気持ち悪くなる。

左耳が騒々しく、右耳に違和感がある。全く聞こえない、というわけではないが、何かおかしい。耳鳴りがするんだろうか、と思うが、いまいち腑に落ちない。感覚がおかしく頭痛がするため仕事を休み、家でごろごろする。やはり病院には行ったほうが良いと思い、上野駅の方の耳鼻科に夕頃行く。この誤りが今後どうなるのか分からないが、とにかく誤りだった。

待合は人が少なく、私も何が主訴なのかいまいち分からない状態で検査を受ける。聴力検査(純音)と、恐らくDPOAEによる耳音響放射検査。聞こえが悪い気がする、とその時に少し思ったが、何dbのものをいつどう流しているかまでは分からないのでその時にはどう聞こえているのかもよくわからなかった。検査結果に問題はない、頭痛いなら耳鳴りの薬出しときますねと言われ終わり。ビタミン剤と末梢血管をあれする薬のようなものだったか。二週間くらい様子見てください、と言われ、え! そんなに待つのかとちょっと思った。

音の聞こえ方が全般的におかしいので、書店によるも大して買う気にならず帰宅。耳鳴りの薬もらったよ、と家族に話す。

8月31日火曜日。そんなにすぐよくなるわけはないか、耳鳴り。と思う。耳鳴りの薬はもらったが、始終、typicalな耳鳴りに苦しめられているわけではない。やはり聞こえがおかしいな、と感じる。これ、難聴みたいなやつではないのかな、と考えながらよく眠る。

寝ても起きてもよくならない。夜、雨音があまり聞こえていないことに気づく。左耳を塞ぐと、屋根に当たる雨音がまるで聞こえず、右耳で低音が聞こえないのだとこの時にははっきり気づいた。左耳を塞いでマツコの知らない世界を見ると、KREVAはちょっと声が高いから聞こえるけれど、マツコの方は明らかに聞こえづらい。普段からこの番組見てるわけじゃないから、そもそもマツコの声をいつも聞き取れるのか分からないけれど。もともと私の耳は聞き取り能力が低く、字幕ありでテレビを見ている。

これはやっぱり耳鳴りが問題なのではなく、聞こえないことが問題なのではないか? と考える。Twitterでフォロイーにセカンドオピニオンを気軽に勧めてもらったこともあり、別の医者にかかることを前向きに検討する。

9月1日水曜日。やはり聞こえない。保育園の送迎は聞こえが不安なので夫に頼む。耳鼻科の順番待ち予約をし、本を読む。会社の上司とチームの同僚には難聴の様子があるので今週いっぱい休ませてほしいと連絡する。上司には診察急いだほうが良いのでは、と心配される。

末広町の耳鼻科に向かいながら、2度ほど交差点で右側から来る車に気づくのが遅れてしまってびっくりした。私が信号のない慣れた道を油断して歩いているのもあるが、普段いかに聴覚を当てにして歩いているかを思い知らされる。全て一時停止し左右確認すればよいのだが、慣れた道では油断して音だよりになってしまうようだ。片耳がよく聞こえていない状態で道を歩くのは不安なことだと知る。いわんや両耳をや。保育園の送迎は当面控えたほうがいいと感じる。子どもを二人載せた自転車を運転するにはあまりに危険。

耳鼻科は結構待つ。順番待ち予約をしても、一人ひとりそれなりに診てるのか、患者が多いのか。受付では新患も多そうだった(左耳は聞こえるので)。普段精神科にばかり行くので失念していたが、耳鼻咽喉科となると、喉が痛い人を見かけてちょっとドキドキする。ワクチン打ち終えていてよかったと思ってしまう。職域接種様々だ。

鼓膜は問題なく、検査をする。この前も問題ないって言われたしなんかあれかな、気の持ちようかなとくよくよし始める。純音聴力検査と、検査耳と反対の耳にノイズを流しつつ骨伝導的な純音聴力検査をやる(どちらも月曜日やった)。前者をやったあとだったか、「もともと聞こえが悪いとかありますか?」と聞かれた。聴力という意味では何も指摘されたことはないので、いえ……と回答。後者で、右耳の聴力検査をするときに左耳からノイズが聞こえなかったので不安になって、ノイズなかったんですが……と聞いたら、ああ、右耳は悪いの解ったんでやらないですと言われた。悪いのか。

DPOAEをやり、月曜日にはやらなかった音叉の検査もやる。おでこに音叉の軸を当ててポーンと鳴らされる、間抜けな検査である。左耳しか聞こえない。オッケーです、待合室でちょっと待っててください。

果たして診察室に戻ると、これは突発性難聴だね、と言われる。だいぶ悪いよ。

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はぁ。上野ではなんて言われたの? いやぁ、何も問題ないって言われたんですけどね……。今日とあんまり変わらないんですけど。はぁ〜何やってんだよ……聞こえなくなったのいつでしたっけ? 8月30日です。ええっと……。月曜日ですね。

医師は指折り数え、じゃあまだ大丈夫かもしれない、と言う。ステロイド剤を処方するから、それをすぐ飲み始めて。金曜か土曜に経過見せに来て欲しい。良くなってなければ、これは入院することになっちゃうかもしれないから。

え! そんな重いやつなのか、とビビる。医師に、病院、ここに来てみて良かったです、とお礼を言い、耳鼻科を出る。淡々と書いたが患者は多く、到着から1時間以上いたように思う。患者が多いので仕方ない。

処方薬をもらい(ステロイド剤を漸減投与されているので飲み方がややこしい)、帰宅。

水曜日はとにかく始終町中が煩くてたまらなかった。左耳からの入力が過剰になってて、風音が轟々煩い様に感じる。台風の中みたいだった。夫に聞いてもそんなことがないそうだったので、やはり聞こえの問題だろう。

とりあえずゴロゴロしておけくらいしか言われなかったので、ゴロゴロする。ステロイド剤はめちゃくちゃ苦い。うっかり舌に触れると悲しくなる。しかもビタミン剤とかなんとかも飲まないとならず、老人になった気分である。上野のヤブ医者情報を地元の知人に広めておく。

家にいるぶんにはあんまり困らず(聞こえにくいということだけで)、夫の話し声が聞き取りづらいくらいか。夫には申し訳ない。子どもたちの声は高いので聞こえる。雨音は相変わらずあんまり聞こえず、窓を開けないと雨が降っているのかどうかわかりかねる。デザインの夏期講習は今週いっぱい休むと連絡し、悲しい気持ちになる。

本日。あんまり好転したとも言い難い。一朝一夕でころりと治る類のものではないらしい。入院になるのは非常に困る。難聴が良くならないのならそれはそれでさっさと補聴器でもつけてしまいたいが、たぶん高いしめんどくさいんだろうな。眼鏡に補聴器、災害時に生き延びられなそうなセットばかりだ。とはいえ、全く聞こえないというわけではないのは救いかもしれない。こういう聞こえ方に慣れてくるときがくるかもしれず、現に今日は聞こえなさが分かってきたような気がする。とはいえ、やはり道を歩くのはちょっと怖い。車に轢かれそうなのだ。

しかし、この一件で思うのは、患者(私)の主訴は大方、患者自身でも認識しがたいということだ。一体何が問題なのか、慣れていない事態において正確に分析することなど出来ない。耳鳴りがするようだと言うべきか、聞こえづらいと言うべきか、何が解消されるべきか、患者には判断しづらい。医師の技量は、患者の「患い」を見抜けるかどうかにかかってくるんだなと感じた。患いを正確に見つけられるか、それに尽きるのだろう。医師は難しい職業だ、人体の究極のカスタマーサポートじゃないか。医師にも当然誤りや、見いだせないこともあるわけで、違和感が拭えなかったら別の医師にかかってみるのも必要だ。ただ、突発性難聴は放って置くと予後が明らかに悪いらしいのでその見過ごしは個人的には勘弁して欲しいと思う。ヤブ医者リストに加えてしまうくらいには、勘弁して欲しい。疾患の特定ミスを患者に帰するようなら医師としてどうか、とは思ってしまう。

さて、明日の診察のときに入院しろと言われないことを願う。

高校生の時だったらちゃんと式とか追ったかもしれない。なんとなく面白かったので病院の待合にあるといいかもね。

これが大切だと思っても組織にとって受容されないとさ……みたいな……ストレス回避のため色々考えないが、本としては分かりやすくよかった。

オレンジ・イズ・ニュー・ブラックとは違うリアルがあった。つまり、「彼らはどこがおかしいんですか」じゃなく、「彼らはなぜcommitしたのですか」であって、みたいなことを考える。

これより前の作品のほうが好みだったかな。ブロックチェーンの、価値の実存性というか、うまく言えないけれど自己記述的なそれを、作品全体の再帰性のような雰囲気に入れ込んでいったのでは、と思ったが、いかんせん、サトシ・ナカモトの着想(フルネームが出た時点で分かってしまう)と小説で表現したいことの乖離が気になった。題材のレベルが比較的安易だが、表現したいことはかなり抽象的で、その乖離がどうも私には評価出来なかった。まいばすけっとで買った食材で、すごく複雑な異国料理をやろうとしているような感じを受けた。街の描写は好み。