sixtyseventh.diary

とりとめはない

2022-03-08 どれだけほんとばらばらのかけら

死人に口なしだ。

スタートアップの、レイターステージの経営者は簡単に、古参メンバーはチームの成長についてこれなかったという。多分そうでなくて、成長という名で美化しようとしてるそれに飽き飽きして離脱したんだろうなと今は想像する。チームの「成長」といえば都合もよく、嘘でもない。でもそれって、拡大でこそあれ、成長だったのだろうか。場合によっては脂肪でブクブク肥えた子供を褒め称えるような「成長」なんじゃないだろうか。

いざ、愚者側の「ついてこれなかった」サイドに身をおいてみると、どうかな? と思う。いや、別に成熟した組織で勤められないわけでもなければ、一定程度、その「組織」のロジックも分かる。でも、そこには断絶がある。ロジックと、古参としてやっていくことに、断絶がある。ロジックで考えれば、どうなるかわからない会社に身をおいてひとまずやっていく、ということになんら合理性はない。スタートアップでやっていく能力なんて、死ぬまで評価されるようなスキルでもない。ゴミスキル。そこにある、やっていくをまるで無視して「成長にたえられない、ついてこられない」という言い方をするのは傲慢にもほどがあるように思う。

転職しようと決めたわけじゃないけど、最近、自分が関心を持っていいと思っていたトピックでことごとくなかったことにされていることに出くわしがちで、なんか疲れてしまった。インナーブランディングもへったくれもない。古参仕草をしたいのではないつもりだったが、古参仕草にしか見えないのかもしれないし、絶対にそうじゃないのかはわからない。まあ、「成長についてこれなかった」でも構わないんだけど、自分なりに、関心を持つ権利を確保するためにやってきたが無駄だったかー、とがっかりするのである。ま、そういうもんだよね、って割り切るには会社で頑張りすぎた。出産前日まで業務をしていたり、夫の育休にかまけて仕事をしたり、そういうのはあんまり良くなかったな、無駄になるんだからさー、としみじみ考えている。もう遅いけど。

組織を主語にしだすとき、とたんに私達はバカになる。バカな顔をしてもっともらしいことをいう。

そんなわけで、あんまり健全な気持ちでなく、経営者は、特に、生き残っているスタートアップ経営者は、古参との別れを殊更正当化するわけだが、私はそれは傲慢で無礼だと思う。古参には古参の、というか、人間としての矜持があり、そして、スタートアップ経営者の屍はマザーズの麓に累々と転がっているのだから、鵜呑みにするとき、また、あなた達はアホな顔になっているのだから。