sixtyseventh.diary

とりとめはない

2022-03-09 回線は悪魔に切られそうだ

衣食足りて礼節を知ってるタイプのポケモンなので、礼節に欠けてる態度に対しては私も礼節を欠いていきたい、と思いつつ、礼節マンとしてはどうも踏み切れなくてイライラだけ溜まるのである。

些細なことの積み重ねなんですよ、お前らに対する信頼の欠如は。信頼貯金を切り崩してる自覚はあるのか。私は信頼貯金をしているつもりだが信頼なんかなくてもゴミ論理でまかり通ると思ったか。こちらも理詰めでキレるぞ。と内心すごい腹立つこともあるし、まあ怒ったらなんか馬鹿にされそうだからあんまり怒ったと直接言わないけれど、人を怒らせてまでやることなのかよ? とやはり後で怒るのである。私の頻出感情は怒りであって、怒っても無駄だよという正論に対しては、だーからさっさと死にたいんだよ私は、バーカとキレながら返していきたい。というか怒っても無駄なの分かってるから余計に嫌なんだよね〜。でも怒りはたぶん、自分のアイデンティティの一つでもあるだろうから、怒らないようにしたらなんかがなくなる気がする。それがなくなってもいいものだとしても、自分の怒りくらい自分は守ってやりたい。感受性と同じ。

と、怒ってもなんで怒ってたか忘れることもあったりするんですけど。そんなもんです。いやーでも今回の些細なことで生じた怒りは、これ些細だけど積み重なるスタイルのやつでしょうね。スタッキング可能な怒り。まあ、私を怒らせないようにする必要なんてどこにもないんですし……。ただ、再度いうが、無礼はまじでよくない。無礼を働かないこと前提で社会人ってやっていくもんじゃないのか? 無礼を働かないように気を回すのが礼儀ってもんじゃないのか? そのプロトコルがないなら話したくないんだよね〜。こちらも気を回すの疲れるしさ〜。あほらし、って思ったら、あほらし、って言っていいのかい? ってなるわけですよ……。

さて、今日は娘のピアノのレッスンを眺めながら、先生によって態度がかわる娘に色々ものを思っていた。人間が出来てきている様子を。ピアノは頑張って練習することもあるから、ちょっとずつ上達していて偉いな、と思う。私はかなり練習ぎらいだけれど、ベースを練習して弾けるようになったときにはなんだか達成感があったし、まあ練習するとできることもある! という経験はいくつかしといたほうが人生の幅が出て良いと思う。ピアニストになってほしいとか、音感がどうとかを期待しているわけではない。初めて弾く楽譜が最初はうまくいかなくてイライラする、でも、言われてでもちょっとずつやると、頑張ったね、よくなったね、って言われて、最初とは見違えるように弾けるようになっている。そういう経験は、たぶん、生きていく上で悪いものではない。音楽じゃなくてもなんでもいいが、とっつきやすいのよ、ピアノ。弾けると学校生活で便利なこともありそうですし。

ピアノと勉強はなるべく娘を叱らないようにしていて、まあだって、今やらなくてもいいことだから。やりたくないならやらなくていい、とちょっと強く言うときもあるが、できないことに対して叱ることはない。別に、うまくできなくていい。でも、できるようになった経験はしてほしい。親ですねぇ。食事のマナーとか、人と話すときのマナーは私はかなりうるさい方です。しょうもないかもしれないけれど、そんなことで人を推し量るひともいるので、損しないで欲しいし、私はあんまりマナーの良くないひとと過ごしたくないので……。家族でも嫌じゃん。

でも今日はほんとに、ぷんすかしていたので夫に愚痴ってばかりで子供とちゃんと話さなくてごめんなさいだった。明日はもっと子供と話そう。愚痴に付き合ってくださったマイメンには感謝がつきない。