sixtyseventh.diary

とりとめはない

2022-05-05 7/33

今朝は随分寝坊してしまったし、今日やること/やりたいことも定まっていなかった。

子どもら(というか主に娘)が、日暮里の祖母宅に行くというので、気付いたら家でぽつねんとしている。ルンバをかけるためにちょっとだけ家具を避けたりして、気付いたら布団で寝ている。私は休みの日、どれだけだって眠れる。

夕方、息子とスーパーマーケットに出かける。彼は1歳7ヶ月くらいで、すこし言葉を覚え、でもコミュニケーションできたりできなかったりする。私が出かけようと靴下を履いていると「くったぁ?」と言って己の靴下を探しはじめる。でかけたいのだ、彼も。

海藻サラダと鮭の焼いたやつを出す。子どもが食べてくれると嬉しい。食べないと落ち込むので、料理はいつだって嫌いだ。

やっと読んだ。読もうと思って数年経っていた。感想や思ったことを夫と話していたらもうここに書きたいことはあんまりなくなってしまったが、小説として非常に素晴らしい出来であること(当然「付録」も含む)、インフラとしてもはや現代ではいつだって到来しえそうな「社会」であることなんかに感銘を受けた。高校生くらいで読んでもいいかもしれないし、読んでいまいちぴんと来なかったら5年後、10年後に読めばいい。あたかも共産主義批判のように見えて、その実、いかなる信条・思想でも起こりうる思考統制について考えてしまうこと、そして、いつの間にか自分の思考がウィンストンのようになってしまう/しまわぬよう距離を取ろうとする/あるいはなったとてなんだというのか、というような多重の思考プロセスを小説側が読者に維持してくる構成に恐れを抱いた。Double thinkを笑えない、怒れない、侮れない、それは文字に埋め尽くされた愚か者の社会を眼前にしているからだろうか? この小説はきっとまた読み返すだろう、一部であれなんであれ。