sixtyseventh.diary

とりとめはない

2022-07-08

日記を書くのが疎かになりつつあったけど、こういう日くらい書いておこうと思う。

朝起きてから、しょぼい仕事をちびちびやり、家計簿もつける。本気で緊縮財政敷くとかなり出費抑えられるなぁとしみじみしたけれど、理由が悲しいのでなんとも。

そう、いつだったか、先週あたりから睡眠剤まで処方され、毎晩8錠も薬をのんでいるのだが、眠れるようになる気はするものの、夜中まだ起きる気がするし、いかんせん次の日がクソ眠い。

眠いな、いつ昼寝しようかな、と思いながらトイレにいるときに、銃撃の速報がなんかのアプリ、多分NHKから入って非常に驚いた。かすったとかじゃなく? と思った。

それからずっとNHKをつけていて、でも私はニュースは音声情報処理が苦手なんであんまり心に入らないままいろんな速報や5chやを見ていた。発災だ、3.11のときと似たような気持ちだった。現場にいたNHK記者の動画、銃声がボッン……ボッンと鳴ったときにはあれはテレビなのにびっくりしてしまった。現場に居合わせた人は随分びっくりしたことだろう。そんなときに写真や動画を撮るのはすごい気もするが、3.11のときに何故かかなり揺れる家の様子を撮った覚えがあるので、非常時には人間は謎の冷静風の行動をするのかもしれない。揺れる様子の動画はどっかいった。

色々、余談を考えてしまうのは、心理的に防衛機構が働くみたいな話なんだろうか。大和西大寺に元首相が応援演説に行くことに結構びっくりしたし(投票日は明後日だ)、こんな唐突に災難が舞い込む消防署や警察署、病院、ひょっとすると市役所まで、を考えていた。警察署は要人がくるのでそれなりにピリッとした朝礼的なものがあったのかもしれない。とはいえ、とはいえ、ほんとにあるのだなぁこんなこと……と思いそうだ。あるいはNHKの記者もそんな場面を撮ることになってびっくりしたかもしれない。決して記者を貶めるつもりではないが、重大事件に出くわしたとき、記者としての箔が、みたいな思いはよぎるんだろうか。私だったらよぎりそうだ。こんなことになると本当に知っていた・知り得たのは、犯行をやった当人しか知らない、というのに、非常に興味深くなる。ただ、観衆だったらどうだろう。私は、著名人がどこか街に来ているのを見るたびに、狙われたらどうするんだろうとまあまあ真剣に考える癖がある。私の癖がそう変わったものでないのなら、西大寺にも何人か、あ! やっぱりこうなるんだ……って思った人くらいいるだろう。だからどうできるというわけでもないが。

結局亡くなってしまい、あるいは歴史の人物らと並べられるような人物だったろうかとちょっと思う。いや、こんなときにそんなことを考えて云々というのはあるが。歴史の暗殺された人物らも、当時の市井の人々からみたらこんなもんだったのだろうか。言論を封殺する暴力を当然私も認めない、その上で、感覚として、置いていかれるような感じはある。昨日夫と歴史というのは面白いんじゃないかという話をしたばかりだった。

子供は、娘は今回のニュースをちゃんと見ていない。野球中継を見て、そのままBSプレミアムつけて就寝時間。意図的に見せなかったのかは分からない。私は、有事のときにずっとテレビから情報を得たい方だが、夫は辟易したのかもしれない。今すぐに家庭内で知らないといけない情報でもないし、野球のシーズンでマシだった、と思う。

私は、この話をいつか3.11みたいに、9.11みたいに、振り返るのだろうとすぐに思った。だからこうして日記をつけている。いずれ娘や息子に聞かれるかもしれないし、来年、再来年、昼飯を食べながら話すのかもしれない。そんな、大人物だっただろうか、と思ったことは書いておく。ちっとも思想には賛同できないし、人柄として私の好みでもない。たくさんあるmemeめいた画像は、笑ったけど。ただ、だからといって規模はどうあれテロリズムに屈して命を失ってよろしいとは思わない。同じようなことが起こらないよう、祈るしかなくもどかしいけれども。難しい季節になってしまったが、どうか、まっとうな政治家の人々はその言葉をつぐまず、語り続けてほしい、とも願っている。それが、今日の気分。