sixtyseventh.diary

とりとめはない

2022-09-19 十年ぶりの時速100km/h

前回あんなに陰鬱とした日記を書いていたが、いまは陰鬱としていない。最終面接で落ちなかったのだ。口頭ベースだが内定をもらった。4人にあったのに落ちなかった。

"すごいベンチャー"の会社ではない(よく考えたらまともにキャリアにできる民間はすごいベンチャー選出企業だけだった)。組織として非常に面白い立ち位置だし、意義もかなりでかい。大きな組織だけれど(私のキャリアにとっては)、古い組織でもない。ここで一定程度活躍できたら、誇れるだろうなというキャリアの入り口を掴めた。陰鬱とした日記のように、すんなりと決まってはいないので、ちゃんと向こうも「こいつを責任持ってお迎えできるのか?」と考えた結果の内定だと思う。率直に言って嬉しい。ただ、一応正式に受諾する前にオファー面談的な職場訪問の機会をくださいとお願いしたが。これを快くうけてくれたことも嬉しい。今どきはオンラインで人のキャリアが決まりがちだ。インターネット回線のラグと乱れの中で。

私は、面接の時に、5年後の自分を問われてこう答えた。「いかに、知人友人が増えるか。人脈を広げたいというとあまりに打算的だが、やや違い、結局、知人友人と付き合いを保てるかどうかは、自分自身がそもそも期待に応えられるひとであるしかない。キャリアという意味であれば、それを業務上のパフォーマンスで絶えず発揮し続けていくことでしか、知人友人の信頼は得づらい」。これは文字にまとめてかっこよくしているのでもっとアワアワしながら言ったが、要点はついている。人脈は広げたい。なぜか? リファラルで関わる会社ほど楽なものもなければ、一生会社員でいる気もないので、なんらか 金銭を渡してでも 期待したい人物でありたいとは思っている。広い選択肢を持っていたい。とはいえフリーランスで事業会社に関わるのもなんか別に違うわ、と今年理解した。フリーランスをうまく使えない会社があまりにも多い、とフリーランス側になってしみじみ思ったのだ。

今日は娘に算数やなんやら教える。昨日もお絵かきを教える。意外とものを教えるのが楽しいが、それは自分の娘のものわかりがいいからかもしれない。というか多分そう。大学生のときに家庭教師をしたときは非常に辛かった。「なぜこうなのか」から理解してもらいたいと思うが、それに興味のない子どもだっているのだ。なぜこうなのか、が分からなくて人生改善できるわけじゃないじゃん、と思うんだけど。偏見ですよ。学歴とお金はあっても困らない(学歴に掛ける時間はちゃんとコストパフォーマンスを考えるべき)ので、可能なら高い学歴を与えたい、と子どもに思っている。自分が比較的高い学歴なのもあるし、うっかり採用面で書類をみることもあるし。でも、学歴は手段でしかなく、これを目的に24時間を投じるなら馬鹿だ。お金を稼ぐために24時間稼働するのも馬鹿でしょう、いつ使うのよ、それ。学歴もそう。学歴を得るためにペーパーなり面接なりだけに時間を投じて、その学歴をどう使いたいのという話になる。私が学歴を持ってよかったなと思うのは、世界を良く見たい、という願望に近づきやすくなるから、だ。良く見えればよい。良く出来たらいいが、それには学歴だけでは足りない。

あんまりなにかに期待しすぎるとすぐげんなりするので、こんなふうにウキウキしているけれど、落ち着きたい。とは思っている。