sixtyseventh.diary

とりとめはない

Chapter 02 正義(『法哲学』有斐閣)

ロールズが『正義論』を刊行しているころに、日本では山岳ベース事件が起きていたのか。今回の自主練はちょっと難しかった。変にロールズの理論でまとめようとして失敗した感がある。次は頑張ろう。

p.31 - CASE に関して

A君の<同じ金額を支出する>という提案を支持する場合について考えてみる。各々の個別的な事実を抜きにし、つまり、A君が最も経済的には恵まれている状態であり、他の友人たちはそうではない、という事実を検討しない上に相互に無関心である場合、たしかにもっともらしい選択となりうる。ここで、誰かがアルコールを好むか、食事量が多いか、ということも検討されないため、<同じ金額>の支出が合理的な選択ということも言いうる。ただし、ロールズが想定した原初状態における無知のヴェールを被った状態はあくまで仮想的社会契約を形成する上での一つの状態に過ぎず、格差原理も検討されていないため、A君の提案はロールズの『正義論』で説かれた正義──福祉国家の正当化とは全く異なる結論ではある。格差原理の観点を取り入れると、A君の提案が必ずしも望ましいとは言えない。

Bさんの<男女の負担金額に差をつける>という提案を支持する場合について考えてみる。この時、正義の二原理のうち第二原理に基づいた擁護ができそうに思える。正義にかなった貯蓄原理と両立する限りで、最も不遇な人々の最大の利益のためになる、という意思決定の方針を、Bさんの提案に沿って検討していくと、一回性の鍋パーティであるため貯蓄原理に関しては考慮をおき、最も不遇な人々の最大の利益のためになるかどうかという点が争点になる。Bさんの言い分においては「女性は一般的に男性より小食」であるから、同じ金額で同じ量の飲食物を提供されたとしても、女性は男性と同じ量を食べられず、費用面で損をすると考えられる。つまり、この損を回避するためにはそもそも負担金額に差をつける必要があるのだという格差原理に基づいた主張と言えそうだ。一方で、男性は女性より小食ではないから、鍋パーティにおいて利益を得るに「値しない」のだろうか。また、<僕>が知っているように、Bさんは一般的な女性よりも大食で大酒飲みである。この時、普遍化した格差原理を取り入れた提案を受け入れるべきだろうか? 個別の具体的状況での適切な判断を個人が行う、という規範的根拠を提示するロールズの論をみても、不適切な一般化を行うことは適切な意思決定とは言い難い。

Cさんの<お酒を飲む人が多めに払う>という提案を支持する場合について考えてみる。ここでもBさんの提案と同じように検討しうるが、お酒を飲む・飲まないが個人の選好によるものだったとしたらどうだろうか。また、Cさんは明らかに高価な食材(カニ)を鍋パーティで利用することを決めている。この時、全員の同意に基づかず、Cさんのみの意思決定として高価な食材を利用することとしていたら、つまり、全体の会費を左右する意思決定をしていたらどうだろうか。Cさんの態度はアルコールを好むかどうかのみを金額の負担の判断基準として提案しており、どのような食材をどの程度好むかを考慮していない。このとき、よりよい状態の合意が形成されてない可能性は極めて高く、全員一致の社会契約としてCさんの提案を適切な意思決定とすることは難しい。

そもそもの疑問、<みんなが納得して楽しい食事ができるようなルール>を決めるために必要なことを簡単に検討してみる。鍋パーティでどの食材を使い、どういった飲み物を用意するかをメンバー間で合意した上で、均等な金額を負担することはどうだろうか。現実に負担できる金額を各々理解しているという前提に立つものではあるが、A君がCさんに比べて経済的に優位な立場としても、Cさんの合意できる内容を事前に提示した上で、平等に負担するというA君の提案の修正案は一定検討の余地がありそうだ。A君の案に比べ、事前にかかる費用をメンバー間で合意することを加えることで、それぞれの事情をくんだ選択をしやすくなるのではないだろうか。費用面での再分配を試みるのではなく、前提の合意形成における決定権を尊重することで、意思決定の効力を公平にするという手法を提案してみたい。