sixtyseventh.diary

とりとめはない

2024-02-27 (「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」)

朝、保育園の送り後に上野公園へ直行。国立西洋美術館へ行く。開館時間より少し早く着いたが、人はまばらだった。大きな特別展や企画展のない時期の平日はそんなもんかもしれない。

西洋美術館から東京文化会館の方を眺める

本日から開催の小企画展「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」に関心があり、早速訪れた。と言っても私はゴヤが何の絵画の作者かすらさほど覚えておらず、なんとなく好きな絵があった気がする程度の記憶であった。

真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面|国立西洋美術館

ゴヤが銅版に刻んだ、時に目を逸らしたくなるような悲劇は、遠い昔の出来事ではなく、我々のアクチュアルな問題でもあるのです。真理や真実、正義が歪められ、文明の闇が露呈した時、我々は何をすべきなのか、根源的な問いを投げかける作品と向かい合ってみたいと思います。

上記のように、いま、ゴヤがスペイン独立戦争を描いた連作を鑑賞することは非常に意義のあることだと感じ、行ってみたのである。82点の作品には、圧倒され、ひとつひとつ、尊敬する人からの手紙のようにじっくり見入ってしまった。

《彼らはここまでむしり取る》 Se aprovechan.

《見るにたえない》 No se puede mirar.

《残忍な動物!》 Fiace Monster!

たぶん、このWebページから見られるのだけれど、可能であれば常設展の料金500円で常設展含めまるっと見られるので鑑賞してほしい。三重県立美術館のWebページのほうが連作の情報を当分見られそうだけれど、現在の小企画展では初版に含まれなかった2作も展示されているので、どちらかというと西洋美術館のほうが豊富。

作品を写真にとってどうする、というのはあるのだが、どうしてもいま同じ空間にあった記憶を手元に残しておきたいと思った。それでも、泣きそうになるくらい心の動いた作品は、撮影すらする気分になれなかった。今起きている戦争の理由を、外野の私は賢しげに考えられるかもしれないが、理由がなんであれ、そこには惨禍しかありえず、"Si resucitará?" この問いのように見せかけた作品に私はもっと、思うのである。

わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。彼らを慰める者はない。(新共同訳聖書「コヘレトの言葉」4章2節)

常設展の展示室を出たところにちょっとした書架があり、2011年に西洋美術館で行われた「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」の図録と思われるものも置いてあったので、ざっくり読んだ。巻末の年表で、ナポレオンとかベートーヴェンって鎌倉時代くらいの人だと思ってたけどゴヤとかカントとかと同じ時代だと知った。世界史知らなすぎてびっくりするわ。最近色々な本や漫画、ドラマ、博物館、科学館のおかげでちょっとずつ頭が良くなっている気がする。宮廷画家と思えない、なにか凄まじさに感動したので、ミュージアムショップでゴヤに関する本を一冊買っておいた。

ロダン「接吻」

風の強い中、自転車を漕ぐのもままならない。

髪の毛を切って、カラーリングしてもらう。帰宅後、漫画を読んで昼寝。小学生が帰ってきてから、同じ美容院に行き、カットをお願いする。それからまた、家で小学生の勉強を応援する。ぬるりと筆算が出てきたが、塾で教えるわけじゃないんかい、とちょっと戸惑いつつ、これはこういうものだから、と伝える。

夕飯。晩酌、普通。

明日はアーティゾン美術館に行くか、東博に行くか、それとも極めてだらだら過ごすか検討中。だらだら過ごしてもそんなに楽しくないんだよな、却ってどんよりするし、という気分。