sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-01-17 Love you every day, girl

手短に。

今日は、絶対に推しメイドさまに会いたかったのでそれに照準を合わせて行動。メイドカフェではOKRに関連した本を読みつつチェキチェキコレチェキの推しメイドさま堪能コース。行ってよかったなぜならおそらく同時間には推しかぶりがいなかったーーー!はず。いてもいいんだけどガチ恋勢なので。

ちょっとといいつつ2時間仕事して完了。

一日は早い。また月曜日が来た。5種類の平日をそれぞれに愛していきたい。

2021-01-16 枯れ葉舞い 恋の雨が降る

やはり直接会うことの意義みたいなことに思いを馳せざるを得ない2021年初頭。つまり、意義がなければ直接会う必要はないのではないか、という仮説もあり、仕事で重要でない場合なんかはもう、直接会う選択肢は限りなく排除される。繕う部分の縮小に気が楽な反面、スケジュールが隙間なく埋められてしまう危機があり、私達には隙間時間がなくなっていく。すっかり、本を合間合間に読むことさえ難しくなる。

あんまりに暖かいのでシャツ一枚ででかけたら、都内をすれ違う人々は律儀にコートを羽織っている人ばかりで驚いた。私はだいぶ暑がりだから、少しでも暖かければどんどん身軽にしてしまう。じっとりと冬に汗をかくのは好きではない。緊急事態宣言もなんのその、日中はどんどん外出してもよい、と思う人が、きっと多い。私は夜でも外出する、散歩やなんや。

秋葉原で本屋であれこれ本を買ったり、無印良品でメガネ拭きと収納道具を買ったり。珈琲を飲んでからピアノのレッスンに向かい、ウォーミングアップとデイリーエクササイズ、曲の練習をする。個人レッスンの30分はあっという間に過ぎる。来週はレッスンがないので、どこかで時間を作って個人練習をしようと決める。ピアノは、というよりは楽器は、とにかく触れて慣れるしかない。おっかなびっくりで触れていると出来そうなところまで進めない。先生は私を適度に褒めてくれて大変助かるが、私自身としてはもっと頑張ればイメージ通りに弾けるようなもどかしさがあり、かなりストイックな気持ちになる。まだまだこんなものではないはず、と思うと、こんなものではないはずのイメージを実現したくなる。仕事でも同じようなことを考えているのだろう、適度にストレッチされた目標に対して、割とストイックになれる性質である。

帰宅し家族と夕飯。

私は、カジュアルに人に頼れるようになりたい。そうでもしないと、頼られたい人にずっと頼られない気がする。頼られたい人に頼られることは、幸福なことのようにイメージされて、だから、私ももう少し人に頼ってもいいのかもしれない。人に対する好意や敬意や信頼を、どうしたら伝えられるのか……言葉を尽くす以外の手段はなんなんだろうか、と、しばしば悩むことがある。私はすぐに言葉を尽くそうとする、その言葉が薄っぺらい気がする、私の言葉はちり紙のような存在感にしかなりえないのではないかと。悩み惑っても、気づくと私は言葉を幾重にも重ねようとしている。悲しい癖だと思う。

2021-01-14 今さらあふれ出すアモール

思い当たるフシがないでもないが完全にボロボロだなみたいな状態で仕事。ずっと在宅で済むスケジュールに感謝(でもみっちり)。電車の混雑具合がよく分かっていないので、極力乗りたくない気もする。

とにかく仕事がいっぱいある。3人分くらい働く。途中で近所の麺を食べる。初めて食べたがうまい。ただし舌を火傷した。未だに舌が痛い。だからあまりラーメンの類を食べないのだった。猫舌が過ぎる。

夕方過ぎ、やっとの思いで私がやらねばならない仕事を終える。背中が丸まって戻らないくらいなんだかぐったりした。充実感はあってもヘトヘトになる。絶対に3人分くらい働いた、そうしないと、私が満足しない。

そこからの記憶はあまりなく、夕飯を食べて風呂に入って今は布団にいる。終わりがないことが不安で、いつも、これは終わるんだって言い聞かせている。嫌なこともいつか離れられるのと同じように、好きなこともいつか離れてしまうのだろう。それを思うと、何かを好きに、大切に思うことのどうしようもなさが脳裏にちらついて、没頭しそうな頭を引き剥がしたくなる。

いま、このときに、楽しければいい、と、ほんとうはそこまでノーテンキに出来ないくせに、ノーテンキな振る舞いをする。そうするのが一番楽だから、なんだよな。

明日はもう少し、嫌なことから目を背けて過ごしたい。

2021-01-12 Tuesday 道なき道を行く

平日の朝は子どもを保育園に送る道すがら、今日は何をするか考える。あの時間にあの用事があるから、あの日にあの用事があるから、と考えて、今朝やることを考える。

行きつけのドトールで仕事をする。中央通りに面したガラスがひび割れていたけれど、無事に直っていた。大晦日の夜に、割られてしまったらしい。御徒町の治安は、まぁ良くはない。ご祝儀でアイスコーヒーをMじゃなくてLにする。実のところ、MサイズとLサイズの違いがよくわからない。

面接の後の昼ごはんは牛丼。豚汁が温かくてうまい。仕事をしているうちにあっという間に保育園の迎えの時間になり、私は歩いて保育園に向かう。雨が降るのか降らないのかよくわからない冷えた夕方。子どもは歩きながらずっと喋っている。次のハロウィンには、やさしいオバケと遊ぶのだそう。でも、公園には行かない、他の子どもが怖がってしまうから、と教えてくれる。彼女の脳内には私にはわからない世界がもう出来ていて、なんだか感動する。どんどん私の知らないあなたができていて欲しい、あなたの知らない私がたくさんあるのだから。

今日はささやかで重大ながっかり案件があったので、どうしても仕事に打ち込まざるを得なかった。クリティカルじゃない、本当にささやかなことだけれども。がっかりしたなぁ、と大きな声で言うほどでもない。仕方がないことに対してずいぶん諦めが良くなったと思うし、あるいは、諦めてるフリで代替案を密かに手繰り寄せるのもうまくなったと思うし。ずるい大人になったもんだ。大人ってこういうことなのか、いまだによくわからない。

親から無理やり離れてもう10年以上、かなり勝手にやってきたな。これからも勝手にやるだろうな、私の人生のケツは私にしか拭けないからなぁ。明日COVID19にやられても、後悔しないようにやるには、誰にばかだと言われても、誰に見下げられても構わない。そうしてみんな刹那的に生きていっているのかもしれない。刹那的な思いが積み重なった世界に将来はあるのか。そんなもんあってもなくても私個人には大して関係はない。誰かがそれは、決着をつける、神様か、悪魔か、知らんけど。

2021-01-11 In other words, I love you

大体家族が起きている時間に目を覚ます時、大体二度寝をする。なぜって、朝やることが終わっているに違いないから。極めて現実的な、それでいて、そうだったら良い夢を見たときの解決法。二度寝をして忘れるか、本当にやるかしかないな。

三連休の最終日とはいえ、やることをやる気力はそこまで残っていない。例えば育児休業に付随する給付金にまつわる事務。やればある程度のお金はもらえるのに、気づくと布団にいる。そして子供を公園に連れて行き、もうこの時点で、私のやることリストの満足度は100%になり、他のことをしないとならないとはあんまり考えられなくなる。子供を公園に連れて行くというのは、3時間の会議をやり切るくらいの達成感があるのだ。私にとっては。

昼ごはんを食べ、少し仕事をし(でも2時間もやってしまった)、蔵出しに行く。オリコン3箱に一杯あるチェキをオタク2名とともに仕事か?というレベルで淡々と見定め、「○○さんありましたよ」と渡したりする。私は推しメンを見つけられなかったが、好きなメイドさんのチェキをお迎えできたのでOK.あの空間特異すぎて草でした。

秋葉原のスタジオでピアノのある部屋を借り、一時間練習する。当然、左手の運指はうまくいかなくて、筋肉も反射能力もまだまだ鍛える余地があるなと思う。言語学習と同じで、例えばト音記号の五線譜のラの位置の音符はいちいち「ラ」と読み替えなくてもピアノの音は出せるが、ヘ音記号の「ファ」の位置にはそのレベルまで慣れていない。でも、これは練習することで慣れていく手応えがある。と思ってちっとも弾けないうちに一時間はあっという間に過ぎる。楽しかった、次の土曜日のレッスンまでにまた練習しに行きたいんだ。

大阪王将でテイクアウトしたご飯で晩餐。

ピアノを練習したからか、今夜はだいぶ脳がクリアな気がする。だからもっと伝えたいことがあるんだよ、と伝えきれずに、眠ってしまうのかもしれない。せめて夢では。月のない夜に。