sixtyseventh.diary

とりとめはない

2021-01-26 おかしな恋人

昨晩、胃痛に苛まれて落ちた。原因の思い当たらない胃痛に襲われることが時折ある。体を丸めて眉を寄せるしかない。一晩寝たらすっかり良くなって安心した、身体の不調は本当にしんどい。

朝モルカーを見ながら少し仕事、子どもを保育園に送り仕事。ちょっと溜まっていた仕事というか作業に近いそれを延々とやる。昼は近所の中華をテイクアウトし、また作業を続ける。夕方急に集中力が切れたのでギブアップ。朝かなり元気よく溌剌としていたのに夕方にはシナシナであった。もし朝元気があり余っていなかったらどうなっていたのか。考えないでおく。

昨日どうしても、私の中での必然性に追い込まれて封筒評論家としてのブログを展開したところ、記事が読まれて嬉しく思う。一方で、アウトプットへの妙なプレッシャーもある。仕事でも封筒評論家としてもたくさんの言葉を練りだしている気がする。それはそれで恵まれていることなのだけれども。

私が本当に言葉を届けたい人たちはわかったようにしていつも笑っている、本当に本当に届いているんだろうかと綱渡りの気持ちになる、考えすぎていることは分かっている、私の流暢に見える薄っぺらい言葉をどうかあなたはあなたがただけは信じて重く受け止めて、たまには傷ついて見せて欲しい。

2021-01-23 演じてた君に恋して 素の君に惚れ直して

シャワーを浴びないとと思って起きたはずなのに布団でダラダラする朝。食事を摂って、子どもと喋る。かじったりんごのマークのPCブランドに興味があるらしい。

95年か96年頃には、家にMacintoshがあった。なぜ母がPCを欲しいと思って買ったのかは分からない。度々フリーズするので再起動コマンドが数種書かれた三角柱の紙がPCのそばにあった。タイピングゲームとペイントと子供向けゲームくらいしかしなかったけれど、小学1年生くらいの頃からPCのある生活に慣れていたのは、同世代の中では割合早い方だった。パソコン通信をしている様子を見せてもらったりしていたが、そういえば父はちっともPCを触らなかった。関心がなかったのかもしれない。

用事があって出かける。品川駅の駅ナカに喫煙スペースのあるカフェがあったのでなかなか助かる。普段使う駅にはそういう気の利いたものはあんまりない。そもそも駅ナカが拡充しているのは……上野駅、そんなに便利じゃないと認識しているんだよな。本屋もあるし惣菜も変えるけれど、滞留するには私にはイマイチ魅力的ではない。駅を出た方が余程魅力的だからか。

帰るところで乗ってみたかった新型車両に乗って満足。遠いかと思いきや意外とあっという間に地元の駅に着く。雨は降っていても風がなければ、そんなに辛くない。鞄にラップトップが入っていたら別。

帰宅してからテレビを見て、子どもの今日の話を聞き、夕飯。なんとなく飲酒をし続けてしまった。部屋に雑に積んだ衣類を片付ける。先日高円寺で買った古着のシャツのボタンが大分取れていることに気がついたまま放っておいているので、明日は出来たら御徒町にボタンを買いに行きたい。雨や、もしかしたら雪が大変なことになっていないことを祈る。

私はあんまり人に質問をしないかもしれない。関心がないのではなくて、聞くことで気を害したり、聞いた割にすぐ忘れてしまったりするコミュニケーションの失敗を恐れてしまう。それから、いま、どう感じているのか……何を見て何を聞いているのか、そんなことが気になることのほうが多い。言葉にできなくてもよくて、知りたいと伝えたい、そんな風に思う瞬間が愛しい。

2021-01-17 Love you every day, girl

手短に。

今日は、絶対に推しメイドさまに会いたかったのでそれに照準を合わせて行動。メイドカフェではOKRに関連した本を読みつつチェキチェキコレチェキの推しメイドさま堪能コース。行ってよかったなぜならおそらく同時間には推しかぶりがいなかったーーー!はず。いてもいいんだけどガチ恋勢なので。

ちょっとといいつつ2時間仕事して完了。

一日は早い。また月曜日が来た。5種類の平日をそれぞれに愛していきたい。

2021-01-16 枯れ葉舞い 恋の雨が降る

やはり直接会うことの意義みたいなことに思いを馳せざるを得ない2021年初頭。つまり、意義がなければ直接会う必要はないのではないか、という仮説もあり、仕事で重要でない場合なんかはもう、直接会う選択肢は限りなく排除される。繕う部分の縮小に気が楽な反面、スケジュールが隙間なく埋められてしまう危機があり、私達には隙間時間がなくなっていく。すっかり、本を合間合間に読むことさえ難しくなる。

あんまりに暖かいのでシャツ一枚ででかけたら、都内をすれ違う人々は律儀にコートを羽織っている人ばかりで驚いた。私はだいぶ暑がりだから、少しでも暖かければどんどん身軽にしてしまう。じっとりと冬に汗をかくのは好きではない。緊急事態宣言もなんのその、日中はどんどん外出してもよい、と思う人が、きっと多い。私は夜でも外出する、散歩やなんや。

秋葉原で本屋であれこれ本を買ったり、無印良品でメガネ拭きと収納道具を買ったり。珈琲を飲んでからピアノのレッスンに向かい、ウォーミングアップとデイリーエクササイズ、曲の練習をする。個人レッスンの30分はあっという間に過ぎる。来週はレッスンがないので、どこかで時間を作って個人練習をしようと決める。ピアノは、というよりは楽器は、とにかく触れて慣れるしかない。おっかなびっくりで触れていると出来そうなところまで進めない。先生は私を適度に褒めてくれて大変助かるが、私自身としてはもっと頑張ればイメージ通りに弾けるようなもどかしさがあり、かなりストイックな気持ちになる。まだまだこんなものではないはず、と思うと、こんなものではないはずのイメージを実現したくなる。仕事でも同じようなことを考えているのだろう、適度にストレッチされた目標に対して、割とストイックになれる性質である。

帰宅し家族と夕飯。

私は、カジュアルに人に頼れるようになりたい。そうでもしないと、頼られたい人にずっと頼られない気がする。頼られたい人に頼られることは、幸福なことのようにイメージされて、だから、私ももう少し人に頼ってもいいのかもしれない。人に対する好意や敬意や信頼を、どうしたら伝えられるのか……言葉を尽くす以外の手段はなんなんだろうか、と、しばしば悩むことがある。私はすぐに言葉を尽くそうとする、その言葉が薄っぺらい気がする、私の言葉はちり紙のような存在感にしかなりえないのではないかと。悩み惑っても、気づくと私は言葉を幾重にも重ねようとしている。悲しい癖だと思う。

2021-01-14 今さらあふれ出すアモール

思い当たるフシがないでもないが完全にボロボロだなみたいな状態で仕事。ずっと在宅で済むスケジュールに感謝(でもみっちり)。電車の混雑具合がよく分かっていないので、極力乗りたくない気もする。

とにかく仕事がいっぱいある。3人分くらい働く。途中で近所の麺を食べる。初めて食べたがうまい。ただし舌を火傷した。未だに舌が痛い。だからあまりラーメンの類を食べないのだった。猫舌が過ぎる。

夕方過ぎ、やっとの思いで私がやらねばならない仕事を終える。背中が丸まって戻らないくらいなんだかぐったりした。充実感はあってもヘトヘトになる。絶対に3人分くらい働いた、そうしないと、私が満足しない。

そこからの記憶はあまりなく、夕飯を食べて風呂に入って今は布団にいる。終わりがないことが不安で、いつも、これは終わるんだって言い聞かせている。嫌なこともいつか離れられるのと同じように、好きなこともいつか離れてしまうのだろう。それを思うと、何かを好きに、大切に思うことのどうしようもなさが脳裏にちらついて、没頭しそうな頭を引き剥がしたくなる。

いま、このときに、楽しければいい、と、ほんとうはそこまでノーテンキに出来ないくせに、ノーテンキな振る舞いをする。そうするのが一番楽だから、なんだよな。

明日はもう少し、嫌なことから目を背けて過ごしたい。