sixtyseventh.diary

とりとめはない

読点ひろい(最近の趣味の話)

冬の朝はどの季節のどの時間帯よりも潔く、そして、気高い。あまりに暑すぎる夏が過ぎて、朝だけは正直に季節を映しゆくかと思ってもいつまでも体の芯がぬるい。地球の公転周期と地軸の傾きこそは朝よりも忠実に季節を教えてくれる。午前6時に起きればまだ薄暗く、御徒町にまだ十分な朝日が届いていないと分かる。もう一度瞼を閉じて慌てながら午前7時半過ぎに起きる自由もあると考えつつ、私は重みのある掛け布団をどける。疲労が溜まりきっていない分には、冬の朝の布団から抜け出すことにそんなに勇気を必要としない。これはあの夏の朝に考えていたことで──夏だろうが冬だろうが、だるければ起きたくないし、どの季節も掛け布団と敷布団の隙間の引力は狂いうる。

寝巻きのロングTシャツと薄手の半ズボン。ここに厚手のブルゾンを羽織り、携帯電話とヘッドホン、家の鍵、中くらいのサイズのビニール袋を持って家を出る。家族を起こさないよう、そっと階段を降りるときの高揚は旅を出る前に似た肌触りがする。

長い間続けていることではない。思い立って、そろそろ散歩でもするか、と起き始めたのはほんの先週、11月末のこと。もとより、運動不足の体が肥えていく密かな焦りはあったが、極度の暑がりの私は日中あまり動けない。冬の朝だけは、散歩をしても汗をかかないことが確かだ。そして、そろそろ川でも眺めたい。隅田川まで歩いていける距離なのにそこまで行く時間も用事もなかった。たまに都バスや総武線隅田川を超える度に歩きたい、と感じる。歩けばいいのに歩かない。冬の朝だけは、歩けばいいから歩こうと体が動く。これも毎年のことというわけではない。今年の11月末は、そろそろ散歩でもするか、が実体となって私の形になったのだ。

それで、中くらいのサイズのビニール袋。犬の散歩をする人が持っているようなもので、用途もだいたい似ている。私は散歩をしながら歩道のごみを拾うのだ。慈善活動ではない。いや、プラスチックごみが隅田川に吹き飛ばされ流れていったらそれは東京湾を漂い、マイクロプラスチックごみとなり海の生き物を害するのではないかと思うこともあるが、動機としては3番手よりも後ろだ。私は単に道に落ちてるごみを集めて然るべき場所に捨てたいだけだ。ものを捨てるのは気持ちがいい。まるで世界の片隅をコントロールしている気持ちになれるから。この世界にあるべきもの、なくてよいもの、それを私が完全に決められる。小さな区画の神として、私は歩道のごみをごみと認定しビニール袋に放り込む。この世界になくてもよいものを連れて、隅田川へ散歩する。なんと気味の良い事か!

俄然多いのは吸い殻のごみで、歩道の上に落ちているアイコスの吸い殻はまだ拾いやすいが、歩道のタイルの隙間に挟まっている紙巻き煙草の吸い殻は拾いづらい。人差し指で軽くほじるように取り出し拾い上げると紙巻き煙草の中から煙草の茶色い小さな葉がぼろぼろ零れ出る。その小さい葉を一つ一つ拾い集め、ない。私はただの趣味で拾いやすく捨てやすいごみを拾っているのであって、街をきれいにする仕事をしているわけではない。零れた葉が消しゴムのカスみたいに歩道のタイルの隙間に残っても、それをどうしようということまで頑張る必要も、大体そんなことをする義理もないのだ。あぁ責任のない、この無責任な趣味の、なんと気楽なことか!

大体一駅分くらい歩くとほどほどにビニール袋が埋まってくる。吸い殻、吸い殻、吸い殻、マスク、吸い殻、レシート、吸い殻、吸い殻、おにぎりの包装。それで、隅田川に着いて、川面を跳ねる朝の光を見る。今日も同じ釣り船が川岸に止まっている。東京の東の更に東からたちあらわれる朝、朝に追い立てられて西の方へ移動する人、川の北の方へジョギングする足。数十秒眺めて、おしまい。戻りがてら、また拾えるごみを拾う。行きと違う側の歩道を行けば、好きなだけ拾えるごみに出会える。

そういえば、喫煙は生活の読点だというような文句を見た覚えがあり、私も仕事の合間やなんかに煙草を吸う度に読点をつけている気持ちになる。喫煙は句点ではない、そこには必ずしも結句はなく、むしろ不条理に残り続ける会議の課題や、先延ばしにした生活の締切が待ち構えている。煙草をやめたらまるで読点のない生活になるに違いない。読点のない差し迫った連続した日常は雨の日のあとの川のようにどうどうと流れてゆこうとするだろう。流れをせき止めるでもなくそれを呆然と眺めて私は立ち尽くすだろう。どこから手をつけようか? 手なんかつけなくていいか。川は私がいようといまいと流れ続けるし私だって川があろうとなかろうと飯を食う。時折無理やり句点を置いて便所に行くような生活になるだろう。

そんなことを考えてみると道に落ちているのは数多の読点のような気がしてくる。そのまま落ちている読点。くねりJの形のようになっている読点。中程で折れて大量の卵を産んでいる読点。私は読点を拾う。街に落ちているかつてプライベートだった読点を拾い集めてビニール袋のくちを縛りごみ捨て場に放り投げる。あなたがたの時間に寄り添った読点は歩道の女王に集められそしてあなたがたはまた今も読点を生み出して。ビニール袋を右手に垂らした歩道の女王には冬の朝がよく似合う。家に帰って手を念入りに洗いベランダで座り込んだ私も、