sixtyseventh.diary

とりとめはない

2024-03-14

ぐぬぬ、生来の安請け合いがたたって仕事にかかる労力が理想より多くなっている。今日は日中ちょいと美術館にでもいくわぞグフフと思っていたのだが、ミーティングが挟まれ、それに付随して先にインプットの時間を確保せねばならず、そして来週の研修のための準備を進めていい加減周知せねば、あと今朝話し合ったことをまとめて上長に確認せねばなどなどやっていたらまぁ美術館にも阿吽にも行く余裕なしと相成った。これは安請け合いのせいですね。入社したてのときにありがちな、能力の120%動くことで信頼を高めて自分のやりたいことに近づく振る舞いなのだが、やりたいことに近づけても自分の中での理論の実践面が薄れるのはいやで、理論はさまざまな知識によって成り立つものなので、とにかく、忙殺されるようなものではいけないのだ。稼働時間的には明日の分もすでに済ませているのだが、まぁスケジュールはスケジュール。かろうじて何も入っていない明日の午前中はいっそ外出スケジュールにして、作業時間を排除することにした。意図せずミーティングが3件3時間連続となった(オンラインなので移動時間さえない!)ので本当に疲れた。仕事の体がなまっているかもしれないが、まぁ、降ってくるお題やコミュニケーション的には、自分の思う自分より明らかにしょぼい期待をされてはいないだろう、という感じである。ただ、安請け合いはしないぞ……。来週の研修が終わったらひとつ手が離れるから、と思いつつ、この研修の運営の難易度はさほど高くないのでまぁ別に楽になりはしないかも。これ以上、すぐ作業を求められるものは、来週中は新規に受けないつよい意志が必要だ。

ホワイトデーに、夫に素敵なものをいただいた! 素敵すぎて、感謝! 直接伝えたよ。

夫と話しながら、エンゲージメントだのパーパスだのバリューだの、結局のところ宗教であって、宗教であることを覚悟するなら、そこからひらける道みたいなものはあるんじゃないかという着想を得た。宗教だからこそ、カルチャーに合わない異端者は忌避されるし、バリューなりミッションなりビジョンなりという教義はあるし、相互に認め合うことで心理的安全性を確保する必要があるわけだし、解釈の違いによる分派もあるわけだし。まぁ新左翼より宗教の方がアナロジーとしては適切で、逆説的に、新左翼は宗教ではないんじゃないかと今思った。まぁとにかく、採用に力を入れる、の意図によっては(そしてその意図の多くが)それは信者の獲得であって、信者の獲得と捉え直したときにひらける採用広報やオンボーディング、評価制度的なもの、色々あると思う。私はそれを、きれいでキャッチーに言うときに、ブランディングということもある、と思った晩なのだった。晩酌おおめ。

明日美術館に行けるかどうかはともかく、即物的でない時間にしたい。最悪寝るでもいいんだけれど。

2024-03-10(「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」)

おやつに伊豆大島でいただいた明日葉味バウムクーヘンを食べる。明日葉って結構クセがあるのでは……とやや敬遠していたが、さほど明日葉の味はしなかった。それはそれでどうなんだろうか。

地層切断面はバウムクーヘンみたいだなと思ったらバウムクーヘンがある

小学生が美術館に行きたい、というので(マリー・ローランサン展の話をしたから)彼女の好みそうな印象派展に行く。正直、東京都美術館の展示は混んでそうなので行くつもりではなかったのだが……。

睡蓮

午後の遅い時間に行ったので、思っていたほど混んでいなかったが、子供にとっては人垣が邪魔になる作品もある、という感じ。絶対関係ないと思うのだけど、「ウィンスロー・ホーマー《冬の海岸》」を見て、「葛飾北斎《神奈川沖浪裏(冨嶽三十六景)》」を思い出した。

何かの足跡もあり、気に入った一枚。

フライヤー(?)にも使われている「チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》」は小学生の気に入った絵。木漏れ日の表現が魅力的な作品は、印象派によくみられる気がする。小学生に、モネの睡蓮って何枚もあるんだよ、という話をしたら困惑していた。「絵のレプリカってこと?」「違うよ、モネが描いた違う睡蓮の絵が何十枚かはある、っていうこと」。何枚あったのかもわからんな、と思ったが200点くらいあるって本当だろうか。

可愛らしく、うつくしい

「チャイルド・ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》」の絵も私は気に入って、帰りにポストカードを買った。

舗装されているのだろうか? 路面の表現が素晴らしい、新しい

そういえば、小学生が「ジュリアン・デュプレ《干し草づくり》」を見ながら、写真みたいだ、というようなことを言っていた。それで、ハッとして「19世紀後半は、カラーの写真を誰でも撮れるような状況ではなかったのだ。だから、こうした写真みたいな絵も評価が高かったのだろうと思う」という説明をした。小学1年生には、カメラが(ましてカラーフィルムが)いつからあるかなんてピンとこないものだろう。子どもによってはそもそもフィルムって何? ということもあるだろうし。それでいて、作品下部に大胆に残るペインティングナイフを用いたような干し草の表現もあり、これも新鮮だった。

バルビゾン派とも言える作品だそうだ

ミュージアムショップで小学生は「ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》」のフレーム付きの小さなレプリカを買っていた。実際に作品を見たときには、遠ざかるとそんなに気づかない色が、近づくとよく見えて面白いでしょ、なんて点描画エンジョイ方法の伝授をさりげなく挟んだりした。

こればっかりは直接作品を見てほしい

見る予定になかったとはいえかなり楽しめたので、空いてそうな時間や曜日を選んでぜひ。巡回展もあるらしい。

3,4点ある「SNS投稿用」のなにか

小学生も、とても楽しんだらしく、美術館にまた行きたい、印象派をまた見たい、と言っていた。自分が画家になったら……と、構想も教えてくれた。静まり返った展示ではなかったので、小学生と色々話しながら鑑賞できたのも良かったのかもしれない。基本的には一人で展示をみたいと思うが、こうして人と話しながら鑑賞するのも結構楽しいときもあります。

帰宅後、光る君へ。今週の光る君へは少女漫画過ぎた……。えっ契っちゃうの?! と驚きました。ヒャーヒャー言ってしまった。夕飯は晩酌ナシ。職場のチーム定例が9時からと、保育園の送りをかなりシビアに済ませないと間に合わないのが辛いなぁ。

2024-03-08

天気の状態を表す言葉はあくまで人間の科学的な解釈にすぎず、雨の状態や雪の状態は常にスペクトラムにあるのだ。霙を見ているとそんなことを思う。自然とともに在らざるをえない動物として、そもそもが、動物──人間を定量的に扱おうという姿勢は本質的に誤っているのだろう。本質的なスタンス自体が求められていない場面も往々にして存在する。雨が降っていないタイミングで家を出たが保育園を出たら小雨になっていてちょっと参った。

同期とスープカレースープカレーほんとに良すぎたのでめっちゃテンション上がった。近くにこういう兵站があることは大切。

yellowspice.jp

訃報に深く悲しむ人の多さが、発見だった。私はカメハメ波を知っていても何の作品のものか知らなかったことに気づいた。とはいえ、語弊はあるだろうが、自分にとって昔のすごい人という感じだ。偉業とその生み出した者の生死は私にとって少しズレのある事柄だった。

晩酌。結構飲んだ。

2024-03-07

喫煙室でぷかぷかしていたら、隣のサラリーマンがいろんな若手っぽいサラリーマンに「お疲れ様です!」と一礼されていた。この人めちゃくちゃ偉い人なんだな、と分かったが、めちゃくちゃ偉い人と、関係ない人間に喫煙室でバレるのはどうなんだろうか。微妙では。

車通りの多い国道でLUUP乗ってる人見ると危なっかしい気持ちになるなー。慣れの問題なのかな? 自転車と速度も装備もさほど変わらないんだけれど。自転車が国道走っているのも、自転車に慣れていない人から見たら危なっかしいのかもしれない。この前の日曜日にLUUPのキックボードに乗ってみて、まぁ便利だし面白いなと思ったが、サイドミラーがないので車道を走るにはちょっと怖いのと、立っているだけだからか、道路の舗装が少しでも乱れてるとすげえ気になるのが私には残念だった。私は自転車にサイドミラーを付けているので、サイドミラーがないもので走るのは結構嫌だ。何なら歩いているときもサイドミラーがあったらいいのにと思っている。振り向くの面倒すぎる。

2ヶ月ぶりにドンキ店*1にご帰宅*2。久しぶりにPさん*3に会えて、わーだいすきーってなった。相当まったり*4だったので、おたの*5ありそうだなぁと思ったら、お出かけ*6後におたのあったっぽくてちょっと悔しかった。こういうときには、私生活の制限にキィとなるが、まぁそれも自分の選んだ道なのでがまんがまん。

カウンターの仕切りがなくなった代わりのテプラがなんかかわいくてね

入社5日目、仕事めちゃ楽しいモードになっているので、多分この転職は相当のインパクトのある事件がない限りは成功と言えるのだが、めちゃ楽しいモードはひとつのモードにすぎないので、このモードがデフォルトである、と周囲に期待されたら困っちゃいそうだな、と憂いている。懸念だといい。そんなに私に関心ないよね! と思っておきたい。

*1:あっとほぉーむカフェ

*2:店に行くこと

*3:あるメイドさん

*4:空いていること

*5:「お楽しみ会」。5分前後のメイドさんが踊るステージや、じゃんけん大会がある健全イベント。無銭

*6:会計を済ませ、退店すること

2024-03-06(東京国立博物館特別展「本阿弥光悦の大宇宙」)

雨なので自転車使えず。傘をさす坊やはかわいい。リモートワークと決めた日の朝は気楽だ。しかし気は思ったほど緩まないもんだなぁ、と布団をたたむ。

謎の振込通知にビビったが、正当なものだったし、ちょうど手持ちのお金がなくなってきてて別口座から移すか考えてたので助かる。何買おうとしてたっけ? 米国株価も上がってるし、投信に突っ込んでもなぁ。

平成館は上野公園の奥の奥

本阿弥光悦。書の豊かさを知る。構図だけでなく、筆跡(早く書いた)や、文字のつらなる様に魅力を感じた。

第一章の展示で立正安国論の書写に、立正安国論やんけ! と驚く。第三章の展示「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」に、小野小町という名前をみとめたり、百人一首の書のうち、人もをし 人も恨めし あぢきなく、の歌が書かれていることが分かったり、にわかに平安の院政時代に関心を持っていたことが鑑賞を良いものにした。光悦は平安古書を蒐集していたようだから、色々と作品もあるんだろう。今は、こうして規格化されたフォントで私達はやり取りしているが、書簡などがなくなるのは、つまり、安易に内容を読めるし、このデータやスクリーンショットに何の美もないであろうことはまた一つの術が失われているのだと考えた。

第二章にある日本における最初期の出版物。雲母摺りの美しさはさることながら、嵯峨本から脈々と続く出版印刷の歴史に愛おしさを感じる。ところで俵屋宗達は江戸後半くらいだと思っていたが、全然違った。人名はまだらに覚えているのに、いつ頃の人か、これは大学受験のときからそうだが、まともに覚えていないらしい。俵屋宗達と光悦、いずれも江戸初期に活躍しているのだから驚く。刹那的なものが全般的に受けていたという何かについていたディスクリプションも納得。光悦が刹那的というわけではなくて。

第二章と第三章の間にあった8Kが意外とよかった。映像に関心がないので無視しようかと通りがかりに思ったけれど立ち止まって正解。こんなにギャンギャンにうつるのか。映像自体やかましくもなく、なかなかよい。

本阿弥光悦作品を舐めるようにうつす(撮影可エリア)

畢竟、見ることは光、照明のようなものと、ちっとも切り離せなく、光る画面なら輝度、生活していれば……なんだ? 明るさ? 露出? と一心同体として在るのだな。当然なのだけれど。視神経の衰えに、妙に恐怖を感じながら、それにしても8Kのよりまくり映像はすごい、実物を見たからこそすごい、と思うのだ。肉眼では分からないかもしれない、刀剣の刃の欠けなど。

「舟橋蒔絵硯箱」ぬいぐるみと、はさみみ

ところで硯箱はwriting boxで分かるのか?ものによっては解説文は英語の方がすっきりと書いてあり理解しやすいので、適度に英語をやっておいたほうがやはりよいな。日本語だと専門的な熟語に集約されてしまって、語彙力との果てしない戦いが始まるので。

目論見通り、今日はちょっとのんびりめに過ごせてよかった。いやゴロゴロする時間は全然取れなかったけど、いいんじゃないでしょうか。仕事も自分のペースが出来あがりそうな感覚だし。

exp-d.com

記事を読んですっかりムーンスターも、そのブランド810sもいいね! という気持ちになったので靴を一足購入した。服もいくつか買った。そう、予期せぬ収入はファッションへ。あんまりテンション上がらない服を処分するかぁ。もう、売られているものが山程ある上に、それらを買う手段も豊富になりすぎていて、何も考えず買うと損した気分になる。自分の好きなブランドやラインというもの、商品画像以外にある背景みたいなものに、せっかくならお金を出したい。まぁ、そこまで考えて買っていないことがほとんどなのも事実だけれど、人付き合いのように、ものとの付き合いも、気が向くままに大切にしたいのだ。

牛乳を飲みすぎたのもあるだろうし、昼間に担々麺を食べたのもあるだろうし、尻を痛めた。明日は出社するので、きりっと。